二月になりました。
今日は節分。
二月になると、思い出すことがあります。

今から30年前、ワンオペ育児真っ最中のこと。
夜、5歳の息子 2歳の娘
二人をお風呂に入れていました。
寒い時期なので、
まず湯船でしっかりあったまって、
私が髪の毛を洗う間は、
息子は湯船、娘は洗い場。

そうしたら、ふざけてた娘が、
ちょっとした拍子に、
ツルンと滑って、
ゴン と後頭部から転んでしまったんです。

あんなにふざけてたのに、意識がなくなり、
顔色がみるみる蒼くなっていって、
息もしてない感じで、
一生懸命揺さぶってもびくともしません。

私は娘を抱きしめて、全身をさすりながら、
息子に「コーイチくんちにいってママを呼んできてっ!」って叫びました。
息子もただならぬ気配に、素っ裸で飛び出して、
同じアパートのお友だちの部屋に行き、ママを連れてきてくれたのです。

とにかく、私が手を離したら娘が死んでしまう!って
そのことしか考えられないので
頭はシャンプーで泡だらけ、素っ裸のまま、
お風呂から出たところでひたすら娘を抱きしめる。

どうしよう、どうしよう、死んじゃう、死んじゃう……

恐怖に震える私に、
コーイチくんのママ、みちこさんは
冷静に救急車を呼んでくれて、
「まずシャワー浴びて、着替えないと。
救急車に乗れないよ!」って気合を入れてくれました。
それなのに私はまだ
「だめ。だめ。どうしよう、手を離したら死んじゃう!」って
おろおろおろおろおおろおろおろ……
みちこさんが「大丈夫! 息はしてるよ! 
私が抱いてる! 泡だけ流して着替えて!」って。
それで少しだけ冷静になって、
大急ぎでシャワーで頭の泡だけ流して、
着替えました。
みちこさんは娘の体を拭いて、そこに用意していたパジャマを
着せてくれてました。
そして、そこに救急車。

コーイチくんのパパもやってきて、
まだおろおろする私の背中を「バンッ」て平手でたたいてくれ、
「落ち着けっ!」っ怒鳴るように叫んでて送り出してくれた。
これで少し目が覚めました。

みちこさんは息子の手を握って、
「GEN君は大丈夫だからねっ。預かる!」って見送ってくれました。
そして「これ、持ってって!」って
救急車の中の私に封筒を渡してくれて、
何かと思ったら10万円入ってた。
私のお財布にはほとんどお金が入ってなかったので、
これも心強かったなあ。

それでも、救急隊員さんにも
「こんなの初めてなんです。
顔が青くなって、息してなかったんです。
今は息してるんですか? ほんとですか?
いつもと様子が違うんです。違うんです!」って
ずっとずっと、聞き続けてました。
「大丈夫ですよ、お母さん。息はしてますよ。
反応もありますよ。ただ、眠いんじゃないかな?」って。
何回言われても信用できない。
私が手を離したら死んじゃう!って、そう思い込んでいる。

脳神経外科の病院について、すぐに診察室に運ばれて、
ご高齢の先生が娘を見てくださり、
不安がる私をみて、ゆっくりお話してくださいました。

「おかあさん、僕がみたところ、娘さんは大丈夫。
何十年もこの仕事をしてる僕が言うんだから、大丈夫。
よくあったまったところで頭を打ったから、
強めの脳震盪だったんだね。
検査もできるんだけど、
そうなるとこんな小さい子だからお薬で眠ってもらわないといけない。
なんでもないんなら、そんなこと、したくないんだ。
もし、家に連れて帰って、吐くとか、痛がるとか、そんなことがあったら、
もう一回連れてきて。でも、大丈夫だから。」って。

確かにそう思ってみたら、
娘はただ眠たそうにトロトロしているだけで、
顔色もいいし、息もちゃんとしてる。
私の呼びかけにも反応するし、しがみついてくる。

ああ……大丈夫だ。きっと大丈夫だ。
ようやく安心できました。
みちこさんに渡された封筒から、
仮払いの一万円をだして、
タクシーを呼んでもらい、
行きとはまったく違う気持ちで家に戻りました。

コーイチくんちから、息子を引き取って、
その晩は、急に様子が変わったらどうしよう?と
壁にもたれて娘を抱いて夜明かし。
翌朝はいつも通りお転婆な娘として起きて、
いつも通り食べて、遊んで、
ようやく一安心できました。

あの「手を離したら死んじゃう」っていう恐怖心は
今も思い出せるし、全身が凍ります。
でも、この時の体験があったから
「手を離しても大丈夫」ということも
信じられるようになったと思うんです。

わが子が苦しいとき、
悩んでいるとき、
「私がそばにいないと」
「私がなんとかしないと」
この子がダメになっちゃう! と
手離せない気持ちは本当によくわかります。
でも、手離したからといって、
怖いことは起きない。
いや、起きるかもしれないけど、
それは手離したからじゃない。

娘が無事だったから、言えることでしょ?
なんかあったら、そう思えたの?

それは……どうだろう?
わかりません。

でも、それでもあえて、
こう結びたいのです。
「お母さんが手を離しても、
誰か、その手を握っていてくれる人がいるなら大丈夫!」って。
自分ががんばらなくても、
ちょっとずつでいいから、
代わりに手を握っていてくれる人がいたら、
抱いていてくれる人がいたら、
その人にも助けてもらいながら、
日々を過ごしていってください。

かかし座のクラファンも引き続き行われています! 今日が最終日