今日は阪神大震災から27年。
くしくも阪神大震災、東日本大震災を
思い出させるようなできごとがありました。

ご存知の方はご存知のように、
海沿いの街に住んでいる私たち。
土曜日の夜は、常ならぬ警報が何度も何度も鳴り響き、
落ち着かない夜になりました。

金曜日はお休みだったのですが、
ズンバのレッスンの帰りに娘からLINE
お婿さんのQちゃんが休みを取って、
孫犬 こむぎ といっしょに横浜に遊びに来てるのだけど、
帰りに泊めてもらってもいい?
そしたら今度は土曜日にまたわが家からドライブに行けるから。

もちろんです(*^^)v

というわけで、
金曜の夜、娘夫婦が泊りにきて、
でも、私は翌日土曜日はお仕事。
ゆっくりご飯も食べられないし、
遊べないね。
「よかったらもう一泊してよ。
そしたら日曜日、お休みだから
とどさんも一緒にどこかに行こうよ~!」

そうお願いして、もう一泊してもらいました。

土曜日の夜はデリバリーを頼んで、
お正月から懸案の トランプで遊んで、
その後、じゃんけんで勝った娘の希望で
人生ゲームに突入!

そしてその最中、もう12時過ぎだというのに、
防災無線が何事かつぶやきだし、
テレビのボリュームを絞って聴き耳を立てているところに、
3人のスマホがほぼ同時に大音量のアラートを流し始めました。

焦った。
そして「とにかく逃げよう!」と
身支度を始めました。
大事なものをリュックに放り込んで、
先にお布団に入っていたとどさんに「避難しますよ!」と
声をかけて、
なんかわかんないけど、家の中を右往左往。

でも、このあたりの津波の予想は最大1メートル、
わが家の周辺は警報ではなく注意報の発令。
そして、わが家は津波ハザードマップから外れている。
周囲の様子も見て、
二階で過ごせば大丈夫かも?と みんなで二階に。

怖いね 寒いね こんなことあるんだね
どうする? 大丈夫じゃない?
でも、逃げられるようにしておいたほうがいいね
と、口々に言っている間にも、
繰り返し鳴り響くアラート。
「もう寝れない!」と言いながら
横になってお布団をかぶったら……

爆睡。

気づいたら朝でしたorz
なにもなくてよかった……

でね。私、ちょっとチクンと心が痛かったんです。
私がわがまま言って、「もう一泊して」なんて言ったから、
この騒ぎに巻き込んじゃった。
彼女らのおうちは丘の上にあるので、
たとえアラートが出たとしても、心配ない。
こんなに落ち着かない時間を過ごさなくてよかったのに……。
悪いことしちゃったなあ……

そう思いながら食べ始めた
少し遅めの朝食の時、
娘がこう言ったんです。

「夜中にね、Qちゃんと話してたんだけど、
茅ヶ崎にいてよかったね。
家にいたら、心配で心配で、
ずっと気をもんでたよねって」

え? お母さんは、あなたたちに申し訳なかったなあって
無理言って泊ってもらって、悪かったなあって、
そう思ってたの。
なのに、二人はそんなふうに思ってくれてたんだ。

ぶわわわわ~と目から涙があふれてきちゃって、
なんかもう、ありがたいな、幸せだなと
あらゆるものに感謝しました。

私は不幸だと思ってた。
片親で、体も丈夫じゃなくて、かわいくもなくて、
友だちづきあいもうまくなくて、
その後の人生もなんだかうまく行かないことばっかりだった。

これはニセものの人生だ。
きっと大人になったら、
本当のお父さんとお母さんが迎えに来るんだ、なんて
両親に対しても失礼極まりないこと考えたりしてた時期もある。

でも、こんなこと言ってくれる娘がいて、
「そうだね」って同意してくれる娘婿がいて、
なんかもう、ありがたいなあって、
あったかい朝日の中でご飯食べながら感謝した。
今これ書きながらもこみあげてくるものがあります。

それもこれも無事だったからなんですけど。
トンガにご家族を残している人、
お身内や大切な人がいるっていう人、
連絡がつかないって、どんなに不安でしょう。

どうか、どうか、
皆さんご無事で。

ちなみに、翌日になって、
避難するときに持っていこうとしていたリュックを見たら、
財布 通帳……は、いいとして
あとはエコバッグと、
なぜかバランスボールを膨らませるポンプが入ってました。

もっと大事なものがいろいろあるだろうに。
非常持ち出し袋、準備する必要性を痛感しました。

かかし座のクラファンも引き続き行われています! 今日が最終日