いつもは子育て、とか教育、とか
育てる側の立場で考えたり、
お話をしたりすることが多いのですが、
母のことを考えると、
一気に「娘」に戻ってしまいます。

還暦なのに。

まあ、迫力満点の母との葛藤は、
この仕事を始める原点にもなった部分ですから、
亡くなったからといって、
すっかりすっきり忘れられるものでもない(^-^;

九州~関西地区がルーツのわが家は
お盆と言えば8月。
とどさんは東京生まれなので、
結婚した当初、7月がお盆っていう認識がなくて、
スルーしちゃってました。
仙台と東京に離れて住んでいたのもあるんだけど、
とどさんの実家で盛大にお盆行事が執り行われていたなんて
全然しらんかった(^-^;

そんで8月にお供え送ったりしておりました。

とどさんちはすごくローカル色の強いおうちなので、
そもそも8月にお盆って認識がない。
「なんで?」って思ったんじゃないかなぁ?
あの時はすみませんでした。
そして、お義母さん、
わが家は8月で行かせてもらいますね。すまん。

というお盆の送り火。
昨日の夜、サクッと一人で焚きました。
とどさんはもうお布団の中。

私もテレビ見ながらまったりしていて
「あっ! 送ってない!」って
あわてて飛び起きて
「おがら」とチャッカマンを握って外に飛び出し、
「ごめんごめん」と言いながら火をつけました。

実はお迎えの時もそうで、
「お盆セット」は買ってたけど、
13日にお迎え火を焚くのをすっかり忘れて、
もう寝ようかな?と言うところで気づき、
やっぱり「おがら」とチャッカマンを握って外に飛び出し、
「悪い悪い」と言いながら、火をつけました。

お迎えの時には母に
「あんた、そんなに私を迎えたくないのん?」と責められ
お送りするときには
「そんなあわてて追い返さんでもええやん」という
怒りを含んだ聞こえてきた(;’∀’)

まあ、ざっくり言うと、そういう人なんですよ。

わずかな時間、迎え火、送り火を見つめながら、
これまで母が私に投げつけてきた
とても強い言葉の数々がどんどん思い出されたり、
倒れてからの8年間のことや、
亡くなる直前のやりとりのこと、
母が今の私を見たらどういうかなぁ? というようなこと、
わずかな時間にぐるぐる考えていました。

ああ、こうやって年に一回ぐらい、
しっかり子どもに戻るのもいいかなぁ、なんて。

これまでは、うちに来てくれている孫もどきといっしょに、
ナスやキュウリで馬を作って、
ワイワイ迎えて、送って、ってしてたけど、
誰も来ないと忘れちゃうもんですね~。
そもそも頭が回ってない。
もう行事感も、特別感もなく、
普通の日が毎日積み重なっていくだけ。
何の変化もないことが、いいこと、というくらいの
世の中の混乱ぶりですが、
その中で普通の毎日が過ごせているだけで
ありがたく幸せなことなのかもしれません。