私が本を書いたり、お話しをしたり、ご相談にのったりするときに、
とても大切にしている考え方があります。

「みんなうちの子」

子育て中はみんな必死です。
自分の子どものことしか見えない。
それはある意味当たり前。
よそのお宅と比べて進んでいるか、劣っているか。
できれば先に行って苦労させたくない。
今シンドイ思いをしても、
楽しい人生を送れるなら、
今少々苦労をしてもいいんじゃないか。

そうやって、
勉強で、スポーツで、楽器の演奏や
ダンスや、美術や、その他もろもろ・・・・・・
その子の才能が発揮できるような何かで、
追い立てられるように生きているお子さんたちを
たくさんたくさん見てきました。

もちろん、
それが大好きで大好きで、
本当に楽しそうに、取り組んでいるお子さんもいます。
でも、「もう少し頑張ったら○○ちゃんよりうまくなれる」
「後少しで○○ちゃんを追い越せる」と
言われ続けるお子さんもたくさんいます。

「アイツには負けるな!」と叱咤されながら、
うまくいかないと「特訓」されたり、
「罰」が待っていたりするのは、
そのお子さんに
そのスポーツや、勉強や、芸術が
キライになるように仕向ける一番の近道ではないかと思うのです。

わが子が生きる未来には、
親はいません。かなり高い確率で。
もし生きていたとしても、
そばにはいられない。

自分の足で立って、
でも、一人で全部は無理だから、
誰かの力を借りながら、
共に歩いて行くのが自立だとしたら、
ライバルを蹴落とせというのは、
将来わが子を守ってくれる仲間を
つぶしながら生きて行けということではないですか。
敵を作りながら、自分だけいいようにしていけ、
ということではないですか?

子どもたちの未来を共に生きるのは、
親ではなく、
今、子どもたちの周りにいる子どもたちです。

たとえ自分の子どもが、
いい学校、いい会社、いい地位、
いい生活、いい趣味を持っていたとしても、
同年代の人たちがみんな不幸せだったら?
世界は壊れてしまいます。

幸せな一握りの選ばれた民となって、
その他の下々の者は、
犠牲にして生きていけばいい、という
考え方なら別です。
選ばれた者となるために全て犠牲にして突き進め! と。

でも、私はその考え方は断じて容認できないです。

未来を生きるわが子だけじゃなくて、
みんな、みんなが、
それぞれの場所で幸せを見つけていけないと、
本当に「わが子」は幸せにはならないと思っています。

もしかしたら、今、もう30歳を過ぎて、
それぞれ自立して生活しているうちの子どもたちも、
本当に幸せだとはいえないんじゃないか。

これだけ世の中には困っている同年代の人がいて、
さまよっている人がいて、
世界に目を転じたら、
そこでは理不尽に殺されている人たちもいて、
それで「うちの子は幸せだからいいや」とは
言えない。
彼らにもそう思って欲しくないです。

もう成人した彼らには、
大きなことは考えなくてもいいから、
自分のそばにいる誰かを
少し遠くても手が届く誰かを、
少しでも幸せにするためにも
自分の力と時間を使って欲しいなぁと願っています。

今子育てまっさい中の方たちにも、
難しいことは承知で、
ほんの少しでもいいから、
そういう視点を持って頂けたらと祈るような気持ちです。