昨日、元保護者としては、
夏のあっつい時期に学校に行かせなくても・・・・・・
感染リスクも高い時期なわけだし・・・・・・

というようなことを書いたのですが、
じゃあ、保護者として学校に求めることってなんだろう?
まず、そこが整理されていないよね?
というふうに思いました。

正直、小4男子、小1男勝り女子が家にいたときに、
「学校に来ないでね」になったら、
フリーランスの私は途方に暮れたと思いますが。
毎日の昼ご飯考えるだけでパンクしたと思う。

もちろん、みんなが一枚岩である必要はない。
それぞれに求めることが違うのは当たり前ですが、
その求めることに応えてくれない場所なら、
ムリして行かせなくてもいいんじゃない?
どうですか?

学校は子どもが勉強するところ、というのは
基本ですけど、
これは今の時代、学校じゃなくてもいいってことが
わかってきた。

「お金を出せば質のいい教育が受けられる」という考え方もあり、
そこに私立学校とか、私塾的なものが入るわけですが、
コロナ時代、やはりそういうところの対応は早かった印象。
これは「経営」に直結するから。当たり前といえば当たり前。
経済的に余裕のある保護者は、スイッと切り替えて、
途切れなく学習が続くようにしたんじゃないかな。今回も。

あと、誤解を恐れずに言えば「意識が高い」タイプの親御さんも、
今ある資源でできること、を探して、対応していたと思う。
オンラインだけじゃなく。

あらためて公立学校、さらに義務教育、ということを考えたら、
なんかそこんところがぼやけてないか? と感じたことは確か。
これは今年に入ってからだけじゃなくて、
いろんな場面で感じてきたこと。

専門学校の講師をしていた時、
もう20歳になろうという学生たちの
基礎学力の差。
シンプルに「読み書きそろばん」という部分で
なんでこんなに差があるんだろう? と不思議だった。
そして、わからなかったら調べたらいいのに、
それもしない。方法がわからない。
そもそも「調べる」ってことを知らない。
タレントの名前とかはググるのに。

クラスに数人いた韓国や中国からの留学生の方が、
ずっとそういう「スキル」に長けていて、
感心させられたのを思い出します。

元保護者が記憶をたどると、
「勉強」と同時に、
「子どもを一定時間、安全に預かってくれる場所」
という位置づけは大きいのかなぁと思います。
小中学生を、一つの場所に集めたら、
そこにいる間は、交通事故とは基本無縁だろうし、
そのほかの事故が起きる確率も、
大人のいない場所で過させるよりはずっと低い。
親もその時間、仕事をしたり、自分のために時間を使える。

しかも、子どもを預けているんじゃない、
勉強させているんだ、という言い訳?ができる。

でも、学校という場所で本当に「勉強」が中心にあるなら、
しつこいようだけど、あの状態で20歳になるはずがない、と
私は考えます。
12年も学校に通っていて、あれは、あり得ない。

前にも書いたけど、
この基本のところに、
いろんなものがくっついて、
雪だるまみたいになって、
結局身動きがとれなくなっているのが
学校って場所じゃないの?と
そういう疑問がこのシリーズを書き始めたきっかけでした。

学校が学びを得る場なら、
そこにいる教員は、
何を置いても子どもたちの学びを保障するべきなのに、
なんかいろんなこと考えすぎてない? と思ったわけ。

保護者たちも、当初
「家に子どもがいるって大変」っていうところが
やはり一番気になっていた部分じゃないかな?
じっとしてないし、だからといってゲーム三昧にもさせたくない、
どうしたらいいの?って。
そして、今まで持てていた「自分の時間」「大人の時間」がなくなったのも、
大きなストレスだったと思います。

学校は、子どもたちのための場所だけど、
大人が作った場所です。
じゃあ、それはそもそもなんのための場所なの?
というところが整理されたら、
「先生たち」がすべきことも
「うちの家」が取るスタンスも少しはっきりしてくるのかな?

どうなんでしょう?

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