よく「引き寄せ」とか言っちゃって、
その偶然に見えるラッキーも、
あなたが引き寄せたんですよ!
なんて言いますよね。

まあ、ここまではいい。

でも、その「引き寄せ」をいい方向に持っていくのに、
スピリチュアルな修行を積みましょう。
ついては毎月○○円! とか
ワンレッスン今なら無料! とか
そういうのは正直嫌だ、と思ってる。
そういうもんじゃないでしょ?と思っています。

で、昨日、日比谷高校のことを話題にし、
さらに校長先生がすごいのかな? ということを書き、
またまたコメントやメッセージを頂きました。

いやもう、びっくりだ。
わが子が卒業しました とか
仕事上でご縁がありました とか
今も仕事上でご縁があります とか
もう、なんかもう、おつながりのオンパレード! 
みたいになっちゃった。
うほほーい!

引き寄せ というのではなく、
投げた石に対して、波紋が広がった、
ということかと思うのですが、
これも、背中を押してくれた方があったればこそ。

ライチさん、改めて感謝です。

さて、長くなりましたが今日の本題。

じゃあ、すごい校長先生はどうしてそうなの?というお話。

公立学校が硬直してるんじゃないの?
文科省とか、教育委員会とか、保護者とか、マスコミとか、
周囲の学校とかへの「忖度(そんたく)」で凝り固まって、
顔色ばかり見て、柔軟性がないんじゃない?

というステレオタイプの私の問いかけに対して、
「いや、うちの学校は違った」
「近所では公立の方が動きが速くて、私立なにやってんだ!って言われてた」
「うちの子どもが行ってた学校はものすごく先進的だった」
という「ちょっと違うぞ!」っていうコメントやメッセージを頂きました。

私は公立小学校のPTAに関わったので、
なんとなく顔色を見合うような雰囲気はわかっているつもり。
その雰囲気の中で、うまく泳ぎきった人が、
管理職、さらに校長になる。
そんな出世レースの様子も理解しているつもり。

逆に、ああ、あの先生すてきだな、という先生は、
どういうわけか、管理職にならずに定年を迎えられる。
そんな「印象」もあります。※あくまでも個人の感想

ならば、日比谷の校長先生が、
出る杭は打たれる という環境で、
校長になることができたのはなぜ?
校長になって、大なたを振るえるのはなぜ?
注目される動きをしても問題にならないのはなぜ?

ここが不思議。

このシリーズを始めるきっかけになった
大阪の大空小学校 元校長の木村先生もそう。

迫力のある、エネルギッシュなおばちゃんだけど、
その木村先生が校長になれて、
クビにもならず、定年を迎えられたのはなぜ?

組織や制度の問題で、
いろいろと不自由なのは理解できるけど、
それでも「やった」「やれた」「やってる」人は
ただ運がいいの?
その人たちは「引き寄せ」に成功して、
でも、あとの人たちは脱落していくだけなの?

ここを知りたい。会って聞いてみたい。
大空の元校長、木村先生にじっくり話を聞きたいなぁ。
日比谷の武内先生とオンラインで飲みながら語りたい!

↑「引き寄せ」を信じて、とりあえず書いてみる(笑)

私は思春期の頃の大挫折で、
組織の中に自分がいる、ということが
想像できなかった。
一度は教員を目指したこともありましたが、
実習などを通じて、「あ、こりゃだめだ」と思い、
教員採用試験に落ちたのをいいことに、
専業主婦生活に入ったのです。
(すでに大学三年の時に結婚してたので・・・・・・)

あ、この教員採用の裏話も今後書いてみよう φ(..)メモメモ

だから、教育の現場に飛び込んで、
出世レースをクリアしていってもなお、
柔軟性を失わないそのパーソナリティは
どこから来るのか知りたい。

とりあえず、給付金で本を買ってみます。
あすはその本の紹介をしてみようかな~?

すみません。私の本も買ってね↓↓↓

インスタもやってます