識字率というのがあります。
文字の読み書きができる人の割合。

先進諸国と呼ばれる国々は軒並み99%以上です。
日本も同様。

一方、世界には国内外の紛争や、
天変地異、経済的背景によって、
識字率が30%を切る国々も多数あります。

文字の読み書きができないと、
意志の疎通ができない、
正確な情報が取れない、
それによって危険が回避できない、
健康に暮らせない、
いい仕事に就けない、
経済的に豊かになれない、
結果的に幸せな暮らしができない、
というふうに考えられています。

そういう意味では、
日本は初等教育をほぼ100%の人が受けて、
識字率は世界トップクラス。

でも、今回コロナでさまざまな情報が交錯する中、
これってもしかして、雇う側に都合のいい教育だったんじゃないの?
と、ふと思うことがありました。

以前ある幼稚園の本を作るお手伝いをしたことがあり、
そこの園長先生のお話がとても印象に残っています。

思考は言葉なんです。言葉がないと思考が深められない。
知っている言葉の数があればあるほど、
それを自由に使いこなせればこなせるほど、
思考を深めるのに役立つんです
」と。

幼児に論語や漢字教育を行なうこの幼稚園に対しては、
賛否がありますが、
実際入園希望者は後を絶たない。人気があります。
そうなるだけの、強い意志と、情熱と、
哲学を元に運営されていることは感じられました。

一方、今の日本の大人たち。
みんな文字が読めるのに、理解できるのに、
テレビで流れた情報を鵜呑みにする。
複数の資料に当たらない。
根拠になっている大元の資料を見ない。

そして、それぞれの立ち位置によって、
見えている世界が違うということを前提にした
実りのある議論ができない。

これではそれぞれの思考は深まりません。

特にSNSは野放し状態なので、
議論とは相手をこき下ろすこと、
相手の立場をバカにしたり、見下したり、罵倒したりして
自分の説が正しいと主張することが議論だと
思い込んでいる人たちがたくさんいて、
読んでいて気分が悪くなることが多々あります。

それでも一通り目を通そうと思うのは、
自分と同じ立場、同じ主張をしている人の意見を
心地よく受け止めてばかりいるのは、
それはそれで、とても偏りのあることだと思うからです。

私は絶対的に不動の、
正しいことがこの世の中にあるとは思えないです。

究極の選択を迫られる、
その場に立たされたときに、
間違っているとわかりながら、
いけないことだとわかりながら、
そちらを選択することもある。
そういう人間の弱さも、
否定できないと思っています。

自分の思いと正反対の主張を声高に、
暴力的にぶち上げられたら、
それは苦しいです。傷つきます。
でも、そこを超えて、きちんと向き合うことが人間の知性であり、
それが理性である、というふうにも信じています。

理性と知性を持って、
自分たちが幸せになるために、
少しでもよりよい暮らしを送るため、
いい人生にするために、
考えて実践していく力、
そのベースを作るのが教育だと思っています。

自分だけがよければそれでいいんだ、
他の人は踏み台でいいんだ、
議論したら気分が悪くなるからしなくていいんだ、
相手の気持ちなんかわからなくていいんだ、
と思っていたら、人は人とつながれないし、
よくしていくことができない。

強い誰かに任せておけばとりあえずはいいか。
反論したり、議論したり、立場を鮮明にしたりして、
強い誰かからにらまれたら損しちゃう。

これは民主主義じゃないし、
こう思う国民を育ててきたとしたら、
それは民主主義の教育じゃない。

そうなのだとしたら、
学校の授業はそれとして、
もう一つ「学びの軸」をどこかに持っていないと
バランスの悪い思考が育ってしまうのじゃないか、
などということも考えます。

また少し散漫になってきたので、
今日はこの辺で。

インスタもやってます