二回にわたって親ガチャのこと、書いてきました。
そして、もっともっとガチャガチャしたらいいのになぁってこと
書きました。

これは私の正直な気持ち。

でも、その反対に、
「それでも逃げられない関係」というのも
痛いほどわかっています。

私にとって、
子どもたちはいつまでも子どもたち。
いつも心配しながら、
「でも大丈夫」って
自分に言い聞かせて
余計な心配を抱えないようにしないと
いろいろとかまって、うるさがられちゃうような
余計なこと言ったりしたりしちゃうような、
そんな関係です。

母にとっても、私はやはりいつまでも
「心配な娘」だったように思います。

母が倒れて約8年間、
病院と施設にお世話になりました。
めんどくさいと思いながら、
週に何回か顔を見に行き、
めんどくさいなぁと思いながら、
早々に施設を後にして。
逆に、時々、衝動的に
「家で介護したい!」となる気持ちが
ぐぐぐんと湧き上がってくる。
そのたびに娘や夫に引き戻されて、
思いとどまる。
そんな8年間でした。

私はいい娘じゃないなぁ
私はいい親じゃないなぁ
というところをうろうろしながら、
でも、そうじゃなくしていきたいという思いで、
ここまでやってきたのかなぁという気もします。

ガチャガチャかきまぜて子育てしたり、
子育てされたり、親育てされたり。
意識してそんなことをしながらも、
矛盾するようなんですが、
親子って簡単に切り離せない。
かきまぜても、やっぱり残っちゃうしがらみとか、
なんかそんなものはなくならない。

だからこそ、
ふだんから、
少しだけ広げておく。
ひらいておく。
「私」以外の目や手や心を
わが子やわが親にかけてもらえるようにしていくことって
大事だと考えているのです。

そして、なんか無理やり結論に持っていくようなんですが、
「思い」って大事。「思い」は伝わる。

母が私を大切にしてくれていたことが、
今になって、しんみりしみいるように
感じられる時があります。
子どもたちも、きっとそうなんじゃないか、と思います。
また、子どもたちが私を思ってくれる気持ちも
おりにふれ、伝わってきます。
私の母を思う気持ちも、
きっと伝わっていたんじゃないかと思います。

行き違いも、誤解も、
いろいろあるけど、
この「親子という縁」を
少しでもよいものとして結んで行けるように
できることをしていきたいなぁと思う今日この頃です。

かかし座のクラファンも引き続き行われています! 今日が最終日