私は過去30年、ずっと子育てのことを考えたり、書いたり、話したりしてきて、
でも、ご相談を受けていた子どもたちが成長して、
何かうまく行かないことができた時、
どうしても「学校」で突っかかる。

「学校のせい」ではなくても、
学校がもう少し変わってくれたら、
柔軟に対応してくれたら、
もう少しだけ譲歩してくれたら、と
思うことがたくさんあった。

PTA会長時代にも、
力不足に泣いたことが何回もある。
保護者と学校の仲立ちをしたい、
行き違いがあるなら、
その行き違いを解消するお手伝いがしたい、と
思うのだけれど、
対立関係みたいになることも多くて、
しんどかった。

そして、あきらめた。
私の手には負えないって。

学校は変わらない。
頑として変わらない。
いや、柔軟に対応してくれる学校があることも
ちゃんと知ってる。
だけど、それは、全部じゃない。
いうなれば、どの学校に通っているかの「運」
「運」にしたくなければ、転校。
とにかくこちらがどう変わるか、の選択になる。

ここ1-2年、教育畑に軸足を置く人たちから
学ばせていただく場面が増えて、
たくさんの若い先生たちが
「これじゃいけない」と動き出していることを知った。
頑張ってる。踏ん張ってる。

保護者の中にも、「学校のことを知りたい」と
絶望を超えて、歩み寄ろうとしている人たちもいる。

でも、前にも書いたけど、
それぞれの言葉で語ると、
相手が置き去りになることにお互いが気づいていない。

私も忘れかけてた。

「ICT」「EdTech」「アクティブ・ラーニング」「GIGAスクール」なんて
カタカナ言葉だけじゃない。
「個別最適化」「探求型学習」「特別支援教育」なんて、
漢字の言葉だって、一般の人はよくわからない。
なんなら「担任」「副担任」「支援員」の違いもわからない。

最初の頃は、こんな単語が出てきただけで、
思考停止してた。
オンラインはスマホで検索しながら聴いてた。

教育畑にいる人たちは「みんな知ってる言葉」って
勘違いしない方がいい。
いちいち解説してられないのはわかる。
教育関係者の間の話ならそれでもいい。
でも、保護者や、地域の人を教育に巻き込みたい、
共に子どもを育てる同志としてやっていきたいというなら、
事前資料に単語解説をつけるとか、
その会合で初めて出てきた言葉は軽く解説するとか、
そういう配慮が必要。

保護者の方も「そんなの親として当たり前の感覚でしょ」
というところから話を始めたら、伝わらない。
子育て経験のない先生は意外に多い。
子どもがいても、パートナーに丸投げ、という人も
意外に教員に多い。
教員ってそのくらい時間外の仕事が多いってことも言える。

お互いに、知ろうとすることがまず第一、って
みんなそう言う。
ならば、前提となる知識も共有しておかないと。
誰かが通訳しよう。
教育のことを子育ての言葉で語る。
子育てのことを教育の言葉で語る。

私は喜んで通訳を買って出たい!