昨日の
親ガチャ上等! ① の続きです。

親が生まれてくる子どもを選べない
子どもも親を選べない

子どもの立場では、
ほとんどの子どもが
絶対に
一回は
「〇〇ちゃんちみたいな家に生まれたかった」
「〇〇ちゃんのママみたいなママがよかった」
って思うはずです。

私は子どもの頃百万回思った。
前にも書いたけど、
ある日学校に行ったら
校門にロールスロイスが止まってて
「将来のためにツライ修行をさせたけど
迎えに来たよ」って
「本当の」親と暮らせるようになる、
みたいなことも夢想した。

シングルで、朝も夜もなく働いて、
私を育ててくれてた母に対して
こんな失礼な夢想はないと
今は思うけども
当時は本気でそう願っていた。

逆に、母にしても、
こんな娘じゃなくて、
もっと美しくて、優秀で、
目はしがきく娘だったら、
人に自慢できたのに、とか
もっと贅沢できたのに、とか、
ゆったりのんびり暮らせたのに、とか
思うことはあったんじゃないかと思う。
娘がもっとやさしかったら、
娘がもっと遊んでくれたら……って。

でもお互いに選べなかったんだから、
そこは痛み分け。しょうがない。

そして、よく考えてみたら、
私は沢山の「親代わり」に恵まれた。
幼稚園の頃から一緒に暮らした祖母はもちろん。
うんと小さい頃には、
近所のおうちに入りびたって、
そこの「ちゃーちゃん」と「おとーちゃん」に
とってもかわいがっていただいた。
引っ越してからも、
夏休みや冬休みは、
何日も泊りに行かせてもらってた。

学校では、とてもあたたかい先生に出会ったし、
(最低最悪のひどい先生にも会ったけど)
いろんな場面で会った、たくさんの大人たちが
その時、その場で、
父なるもの、母なるもの、として助けてくださった
たくさんのおとながいた。
魂を導いてもらった、
というくらい深い心のつながりもあった。

そして、私の思春期以降、
ある意味「娘を失った」母は母で、
周りにいる若い方たちに
「子どもなるもの」とのつながりを持ったと思う。
私の友人たち、バイトの子たち、お店のお客さん……
私が避けて、逃げていた
「一緒に飲みに行く」とか「一緒に旅行に行く」とか
そんなことを皆さんと楽しんでいたと思う。

そして、その若い方たちも、
それぞれ「この親じゃない方がよかった」というすき間を
母との時間で埋めていたのではないかと思う。
その中の何人かとは、
やはり魂に及ぶような深いお付き合いがあったと思う。
私がそうだったように。

ああ、そうやって循環していけばいいんだ。

改めて書いていて思ったけど、
夏休みや冬休みに、
「ちゃーちゃんのおうち」に
私が泊めていただくことで、
母もずいぶん息抜きになったんじゃないかな。
私はちゃーちゃんのおうちで
いっしょにテレビを見たり、
家族とトランプしたり、
どこに行くでもなく、
ただ「生活する」っていうのが楽しかった。
家事のやり方も、
ここで知ったことが多かったような気がする。

そして、深くお付き合いして、
長い時間いっしょにいて、
さらに私が大きくなって、
「どんなおうちにもそれぞれ大変なことがあるんだなぁ」
ということも、実際に見聞きして知った。
「とっかえても、それはそれで大変なのかもなあ」って。
本で読んだことでも、ドラマで見たことでもなく、
実際にその空気の中にいたことで感じたこと。

今、うちの娘はご近所でとてもあたたかいお仲間に恵まれて、
なんだかのんびり幸せそうに過ごしている。
母なるもの、姉なるもの、
友だち、というだけではない存在に
日々守られて、助けられて、また助けて、
いい時間を過ごしていることが伝わってくる。

息子夫婦も、アメリカで、
たくさんの方たちに恵まれて、
とてもプライベートなホームパーティにも仲間に入れて頂き、
「家族みたい」に過ごさせていただいている。
自宅にもお仲間を招いて、
孫もたくさんのお友だちに囲まれて育ってる様子が伝わる。

こうやって、
いろんな人が交わって、
気の合う人、波長の合う人を
その時、その時で選びながら、
選ばれながら、
つながりあって暮らしていければいいんじゃないか。

これもガチャか。いや、選べるんだからガチャじゃないか?

「いらない」と思ったら、さっさと手放して、
「あーーー! これ、ほしかったんだ!」
というお付き合いに出会えたら大事にしたらいいし
この間まで大切だった人のことを
「ちょっと違うかも?」と思うようになったら、
そこは未練がありつつも手放して、
次の出会いを待てばいい。

恋愛みたいだな。うん。

だから、親ガチャ上等です!

ごちゃ混ぜ、いやガチャ混ぜにしながら、
自分にとって今、必要な人と出会い、
互いに育ちあっていけたらいいなぁ。


かかし座のクラファンも引き続き行われています! 今日が最終日