少し乱暴なタイトルですけど、
親ガチャ、当たり前じゃない? というところ
書きたいと思います

子育てが息苦しい原因の一つに
「取り替えられない」っていうことがあるんじゃないかと思います。
確かに、親や子を簡単に取り換えることはできないので、
それが苦しい、というのはよくわかります。

私が出会う、
子育てが少しつらいと感じているお母さんたちは
「私の子どもに生まれたばかりに苦労させている」とか
「私が生んだばかりに子どもが幸せではない」とか
「うちの子に生まれなければ幸せだったのに」とか
そんな風に感じておられることが多いように思います。

一方で
「うちの子に生まれた限りは全身全霊をかけて幸せにしないと」
「私が生んだんだから、責任を持って育てないと」と
全身に力こぶ💪を盛り上げて、
ママが、またはパパが、または両親が、
気合十分な子育てをなさっている場合もあります。

これ、正反対なようで、根っこは同じだと思うのです。

それは「親が自分の思い描いた幸せを基準にしている」
というところ。

先日の講演でもテーマにしたことですが、
親が思い描く子どもの幸せと、
子どもが望む幸せとは、
必ずしも一致しません。

自分は両親に非常に厳しく育てられたから、
わが子はゆるく、あまり口うるさくしないで育てたい、
それが子どものためになると思っていたのに、
子どもは「もっと構ってほしかった」
「ちゃんとしつけてほしかった」と
思うかもしれません。

逆に両親からネグレクト状態で
放置されていたので、
わが子にはしっかり愛情を注ぎたい、
食事も、生活の環境も、衣服も、
そして心も、
できるだけ整えて育てたい、と思うと、
子どもは「なんでそこまで神経を使われるの?」
「親がうざい」と
思ったりするのです。

ちょっと前に流行った「親ガチャ」っていう言葉は、
嫌な言葉ではありますが、
言いえて妙、とも感じるのはこういうところ。

子どもは親を選べない、
親も子どもを選べない。

そして、子どもは成長の過程で、
どんな親でも「この親じゃない方がよかった」と
思う時期があるのではないか、
そういうふうにも思います。
その時期がこないと本当に大人になれない、というか。

私自身も、子育てをできるだけ開いていきたい、
わが子だけに集中しないで、
できるだけたくさんの子どもたちと、
ワイワイ子育てしたいと願い、
その通りにたくさんの子どもたちが出入りする家になりましたが、
ある時、大人になった息子から
「いつもうちに誰かいて、
みんながお母さんに甘えるから、
僕だけのお母さんでいてほしい、
と思ったことがある」と
告白されました。

これはショックでした。涙が出ました。
私が一人っ子、片親家庭で、
ほとんどの時間を一人で過ごしていたので、
子どもたちにはさみしい思いをさせたくなかった。
だから家をひらいて、
大人も子どももワイワイしている家にしたんです。
それはとどさんの望みでもあった。

でも、それが息子をさみしくさせていた。
娘もそうだったかもしれません。

その時はしばらく落ち込みましたが、
今はちょっと違う考え方をしています。
そのことを明日、書こうと思います。

かかし座のクラファンも引き続き行われています! 今日が最終日