私が関わりを持った親御さんたちは、
子育てがうまくいかないと感じていたり、
子育てがツラいと感じていたりする方がほとんどです。

そもそも「子育て楽しい!」「子どもかわいい💗」って人は
誰かに相談しようなんて思いませんからね。
その時点で全国の子育て人口から
そういうくくりでのバイアスがかかってるわけです。

そして、さらに言わせていただくと、
「相談しよう」「ちょっとお話聞いてみよう」と
思っておられるだけで、
子育てに前向き、だということが言えます。

子どもなんかどうでもいいわ、って思ってたら、
私とのご縁はなかったでしょうから。

ですから、先日の講演でもお話しましたが、
まず、子育てをよりよいものにしよう、
わが子をよりよく育てたい、という気持ちだけで、
もうハナマル💮なわけです。

それを超えて、子どものために何かしたい!
というふうに思う必要は、そもそも、ない。
もう、それで十分なんです。

なぜなら、子どもには子どもの人生があるからです。
それは自分自身の人生経験や価値観と、
切り分けて考える必要があるんです。

私は自分自身が生まれた瞬間から大きくて、
「でかい」「大きい」「大きいのにどんくさい」
「アホに見える」などと、
冗談交じりではあっても、
ずっとそう言われて育ってきました。

小さくてかわいい人にあこがれましたが、
一度大きくなった身長は、小さくはなりません。
有名な歌舞伎役者の方が、女形を務めるために、
スネの骨を切って慎重を低くした、という話を聞いて、
本気で骨を切ってもらえないか、と考えたくらいです。

だから、娘が生まれたとき、
「大きくならないように育てたい」って
強く思いました。願いました。
「それがこの子のためになる」って。
そう信じていたのです。

先に生まれた息子には、
ふんだんに飲ませた牛乳も、
娘にはほとんど飲ませませんでした。
「あなたは牛乳がキライだからね」なんて、
嘘までついて、お茶を飲ませて育てたのです。

そのおかげなのかどうなのか、
娘は私の身長より少し低いくらい。
洋服のサイズも、靴のサイズも、平均的です。
そして、私は「大成功!」って、思った。
なんなら「やったね♪」とほくそ笑んだくらいです。

でも、思春期になった娘が発したのは、
「もっと背が高くなりたかったなあ」
という衝撃のひとことでした。

「え?」

わが耳を疑うとはこのことです。

私は背が高いということがコンプレックスで、
ずっと目立たないように、猫背で過ごしたのに。
なんということでしょう。
娘は「もっと背が高い方がよかった」って
そう言ったのです。
「170センチはほしかったなぁ」って……。

私の経験、そこから得た価値観、
それは私自身のものです。
そして、娘には娘の経験、価値観があって当然。
同じである必要はない。
私がよかれと思ってすることが、
彼女のためになるとは限りません。

そして彼女の人生だから、
もし170センチの身長があったら、
それはそれで「もう少し小さい方が……」と
願ったかもしれない。
それも私の問題とは違う。
私の人生とは違うんです。
共感はできたかもしれないけど……。

まず、まっさらな気持ちで、
ただただ、健やかな成長を願うだけ。
その気持ちだけで、
わが子に向き合うっていうこと、
とても大変だけど、
意外に大事なんじゃないかと。

今はそう思うようになっています。
私自身の苦い思い出と共に。