たまたまオンラインで知り合った若い方のお誘いで、
ガイドゲームに参加してきました。
これもオンライン。

デュエルモンスターズとか、
ポケモンゲームとかは「カードゲーム」。
それとは違って、こっちは
ちょっとテツガクテキなやつです。

私が知っているのは、
トランプぐらいの大きさ&数の白紙のカードに
「好きな果物」とか「今イチバンしたいこと」
なんていうお題が書かれていて、
二人組でランダムにカードを引いて、出てきたお題に答える。
相手は「そうなんだ~」「いいね~」「わかるわ~」などという
肯定的な返事しかしてはいけない、というもの。

でも、今回のはちょっと違っていて、
なんと200枚もカードがあり、
そこに書かれていることに対して、
参加者(今回は四名)が一人ずつ自由に答えていくというもの。
相手の意見は否定しないけれど、
特に肯定的な反応をする必要もなく、
そこから広がるイマジネーションの方向性で
自分のことが深掘りできる、というような感じでした。

ファシリテーター的な存在のノブタさんが
ちょいちょい「それって〇〇なんですかね~」と
挟みこんでくる質問が、
さらに気づきを与えてくれました。

200もあるうちから、このお題が何になるかというのも、
実は巡り合わせとしてはとても大切だと思うのですが、
偶然のようで、偶然じゃない感じがするんです。
そこも不思議なんです。テツガクテキ。

私が卒論に選んだメルロー・ポンティさんという現象学者は、
「全ての偶然は必然である」的なことを書いてました。

で、初めまして、の4名で、
オンラインでつながり、
最初に選ばれたお題が
「安楽死について」

いや~。も~。初対面の、
息子と同い年くらいの若者三人と語る話題じゃないって。
重いって。
まいったなぁ・・・・・・って考えながら、
自分の内側を掘っていったら、
「そんなのいいもわるいも決められないよ」という
すごく明快な結論が出ました。

家族として、安楽死を望む家族の傍らにいるときと、
自分が安楽死を望む状況と、
その立場だけでも180度考え方は違う。
どんな状況が苦しくて、安楽死を望むのか、
今までどれだけ耐えてきたのか、
本当に耐えがたいのか。
それをとことん考えて、話して、話し尽くして、
その個別の「安楽死」については結論を出したとして、
それでも、どちらに決めたにしても、
それでもずっと迷い続けるんじゃないか。

そんな、もんのすごく個別なことに対して、
今、仮定で「いい」「悪い」は言えない。

それが私の意見でした。

で、さらに思いが深まる。

私「今決められない」って言えるようになったんだな、って。
何か聞かれたら、何か返事しなくちゃ、
「わからない」というのは、逃げだって
なんか決め込んでいた時期があった。
それは自分を不自由にすることだったけど、
それにも気付かなかった。

それがいま、「わからない」って言える。
言えるようになったんだなあって。

そして、世の中の流れが
なんとなーく、全体に、一律に、
網を掛けていくような方向に行くのに、
すごく抵抗を感じていることもわかった。

昨日の小一プロブレムもそうだけど、
不登校はこれ、
発達障害はこれ、
いじめはこれ、って
特効薬みたいな処方箋を探そうとしすぎてないか、
っていうところに、すごく引っかかってる。

違うでしょ。
全部個別のことでしょ。
そのことに寄り添えずに、
なんで「全体」をなんとかしようとするの?っていう
怒りみたいなものも強くあるんだ、ということにも
気づけた。

そんなガイドゲーム体験。とても新鮮で、
気持ちの良い時間でした。
もっと時間が欲しかったくらい。

下にリンク付けておきました。
初対面&初体験でも、ノープロブレムだったことは、
私が体験済みです。
今のところは無料で開催しているとのこと。
私のお知り合いなら、ご一緒してもいいですよ!
興味のある方はお問い合わせください!

【ガイドゲーム】哲学的な問いに答えることで、
自分の思考に気づき、自分軸を再発見していくゲーム【哲学Cafe】