ニュースを見て、久々に熱くなりました。
ぷっしゅーーーーってヤカンの蓋が持ち上がる感じ。
それで、落ち着いて、ソースを調べて、
きちんと書こうと思っていたのですが、
どうやら読売の独占スクープのようで、
文科省のサイトにもまだ詳細は掲載されていません。
ですので、今の時点での情報を元に書いていきます。
※アイキャッチの画像も読売新聞オンラインからお借りしました

「小一プロブレム」という言葉があるのは知っていました。
せっかく一年生になったのに、
学校になじめず、友だちづきあいもうまくいかず、
なんとなく学校に行きにくくなってしまう子どもたちのこと。
そして、授業中に立ち歩いたり、自分勝手な行動をして、
クラスの活動をかき回してしまう子どもたちのこと。

いずれも「問題児」とされています。
↑ 下に書きますが、私は問題だとは思っていません。

もう30年も前の話ですが、
うちの息子は、今考えてみれば、
「小一プロブレム当事者」でした。

入学したものの、
担任の先生にうまくなじめずに、
「学校に行きたくない、幼稚園に行きたい」と
登校を渋るようになったのです。

忘れ物に厳しい先生だったので、
前の晩に神経質なくらい持ち物をチェックし、
朝も玄関の上がりがまちでランドセルを背負ったまま、
「●●がはいってるかどうか見て」とおびえたように言い、
私が後ろから背蓋を開けて「入ってるよ」と言っても、
まだ安心できず、自分でランドセルを下ろして確かめて・・・・・・
というのを繰り返しているうちに、
「頭が痛い」「おなかが痛い」と
だんだん学校に行きづらくなっていったのでした。

担任の先生には、
息子がそういう状態です、ということを相談し、
少しご配慮頂くようにお願い。
  ※この時の担任とのやりとりについてはまた別の機会に書きますね
また、卒園した幼稚園に下の娘が通っていましたので、
幼稚園にお願いして、
しばらく一緒に幼稚園に行かせて頂くことにしました。

あんなに大好きだった幼稚園だけれど、
妹と一緒に行ってみたら、
もうそこに自分の居場所はない。
そのことを実感させてしまうのは
少し残酷かとも思いましたが、
息子の場合、結果的にこれで気持ちの整理がついたようです。

そこからは徐々に行きしぶることもなくなり、
初めての参観日がやってきます。

教室の隅で小さくなっているのではないかと
心配した私の気持ちはガラガラガッチャンと崩れ去り、
そこで見たのは、後ろ向きに座り、
ニコニコと私に向かって手を振る彼の姿でした。

身振り手振り、怖い目つきなどで、
前を向くように伝えようとするのですが、
私が面白いパフォーマンスでもしているかのように、
彼は楽しそうに眺めているだけ。

これらのことをお読み頂いただけでも、
彼が「小一プロブレム」を全身で抱えた、
小学校一年生男子だったことが
おわかり頂けることと思います。

では、5歳の時点で
「共通教育プログラム」を修了していたら、
こんなことにはならなかったのでしょうか?

私はそんなことはない、と思います。

言われる前に書いておきますが、
親のしつけがなってなかった、という
可能性も大いにあると思います。
とにかくからだを動かしていれば機嫌のいい子でしたから、
おとなしく座らせるようなことはあえてしませんでしたし、
できるだけ、ストレスなく自由に動ける場所を探して、
幼稚園も、休日の遊び場も選んできました。

そんな親の子だからそうなったんだよ、と
言われるのだとしたら、私は反論の言葉を持ちません。

でも、ここからが大事なところなのですが、
その当時息子と同じような
小一プロブレムを抱えていた問題児たちは、
高学年になると、
委員会などの長を積極的に務めるようになったのです。

一年生の頃の様子を見ていた方たちから、
「あの●●くんがね~」という言われかたをするような成長ぶりでした。

子どもたちの成長には本当に一人ずつ凸凹があります。

一年生のときにはおとなしくマジメで、手のかからなかった子が、
高学年になって学校にいきたがらなくなったり、
弱い子をいじめたり、いじめられたりで
学校に行くのが辛くなる場合もあります。
突然教室でハサミを振り回して暴れたお子さんもいました。
中学に進んでひどい荒れかたをすることもあります。

小一プロブレムを解決したいのならば、
その凸凹に寄り添えるようなものでないと、
意味がないと考えます。
たった一年前にさかのぼって、
年齢で一律に網をかけるようなやり方は
絶対に反対です。

それだったら、今の小学校一年生が
出会い、戸惑う状況を一年前倒しにしたにすぎません。

凸凹に寄り添えるような方法がどういうものなのか、
私は今、答えを持ちませんが、
もしそれができたなら
小一プロブレムだけでなく、
いじめや、不登校やひきこもりという問題も、
なくなっていくのではないでしょうか。

※そもそも私は今の学校に行けない「不登校」を
悪いこととは思っていません。
自分がラクに居られる場所を
学校以外にみつけなければならないことを
「子どもの問題」と捉える
今の制度自体が問題だと考えています。