前回の内容と重複する部分も大きいのですが、
「子育て」って、究極の「人を相手にする営み」だと考えます。

24時間休みなしにケアしていないと、
たぶん生きていけないだろう小さい存在を
ただひたすら見つめ続ける時間。

それは自分の思い通りに相手を操る方法を知るプロセスではなく、
いかに相手が自分の思い通りにならないかを知る経験の積み重ね。

相手の成長を願い、
見守り、
支える、
共に学ぶ、
共に育つ。
愛する。

いい言葉ばかりが並ぶけれど、
実際そんなに甘くはない。
だって、
私が竹内さんの元で過した日々以上に、
自分自身を問われる日々だったんだから。
逃げ場なし。毎日24時間。

いや、そこまでまじめに子育てしていたかって言われると
自信ない。
すごく適当にしていたところもあります。
優先順位を子育て以外のものに置いていた時間もある。
でも、それでも、
24時間貼り付いて離れない存在との共生というか、
共存、というか・・・・・・。

実は、この「子育て」のタイミングで、
私は竹内さんと距離を取ることになりました。

いろいろありまして、
どうしても受け入れ難くなった。
自分の生活に起きていることと、
竹内さんの身の回りに起きたことがシンクロして、
前のように自分を丸ごとゆだねることができなくなってしまったのです。

そんな中で「竹内以外」のものを模索し、
あちらへこちらへとさまよって、
なんとか自分を自分として、
立たせていこうとあがいて、
そんなことしているうちに、
竹内さんはこの世からいなくなってしまいました。

有志というか、お弟子さんたちが、
お別れの会を開いてくださり、
私もそこに出席しましたが、
とにかく正体がなくなるぐらい、
記憶が完全に飛んでしまうくらい、
呑んで、呑んで、酔いつぶれて、
南武線を何度も往復して、
立川から何時間もかけて
ふらふらになりながら自宅に帰りついたのでした。

まだ、この世にいるうちに、
話せばよかった。
あんなこと、あんなこと、そして・・・・・・
今となっては、
後悔しかありません。


息子が生まれたとき、
竹内さんが書いてくれた色紙があります。
虹を吐いて ひらかんとする 牡丹哉
与謝蕪村の句のようです。

元気いっぱいの男の子 というイメージで送ってくれたのかな?
ちょうど今頃の季節の句になるのでしょうか?

そうそう!
これは入学して、研究室に所属を決めた、
後から知ったことでしたが、
竹内さんが宮城教育大学に招請されたのは、
林竹二の強い希望だと聞きました。

教育哲学を専門とする林竹二が、
竹内さんにぜひ、と言ったのは、
「子どもたちを相手にする人には絶対必要な学び」だと
確信していたからではないかと思います。
私も同感です。

そして多忙な中、竹内さんがあえて引き受けたのも、
「子どもを相手にする人には絶対に伝えたい」という
思いがあったからだと確信しています。

私はこのお二人の足元にも及びませんが、
今でも、ヨチヨチと、
子育てについて、考えをこねくり回しています。

目の前にいて、苦しいと感じている人、
出口見えずにつらい日々を送っている人と、
共に考えてくことができたらと願い、
そのようにしてきました。

ご相談などありましたら、
どうぞご遠慮なく。
近々、ZOOMを使ったお話しの会なんかも
開いて行けたらいいなぁと思っています。

ごく少人数で。
ヒミツを守り合える安心した場で。