これまで8回、「学ぶ」ということを書いてきました。
私自身は元々頭でっかちなタイプなので、
竹内さんという人に出会って、
からだまるごと、その場に飲み込まれるように取り込まれて
たたき込まれた時間は、すごく貴重だったと思います。

それが世界との親和性を取り戻す時間になり、
また、再び、世界と切り離される体験をし、
また取り戻し・・・・・・と
その繰り返しなのだなあと、
日々迷い、苦しみ、突き抜けた喜びに満たされながら、
何度もそう実感しました。

でも、実際に自分の子育てが始まってみると、
うまくいかないことだらけ。
自分が学んだことがさっぱり役に立たないじゃないか!という
なんともやりきれない日々。

わが子、という天から与えられた存在によって、
また新しい学びが始まった、という感じでした。

自分のおなかの中で大切に育んで、
産み、育てた存在であっても、
自分の思うようにはならないのだ、と
いうことを
痛いほど思い知らされる子育て生活。

その学びは、
何冊もの「本」という形で、
世の中に晒し、
ご批判も受けつつ、
それでも「救われた」と言ってくださる方もあり、
なんとか30年ほど、
この仕事を続けてきました。

還暦にもなれば、
少しは世の中のことがわかっているのではないかと、
若い頃の私は思っていましたが、
実際にこの年になってみると、
全然そんなことはないです。

いまだに迷うし、悩むし、
人の事ばっかりよく見えたりするし、
うらやんだり、妬んだりすることもあります。
あーあ、なんかもう、まだまだだなぁ、と
落ち込むこともたびたび。

だからこそ、学びは続きます。
今も、これからも。

そして、その学びを誰かのために使えたら、
それは本当にうれしいことです。

学んだことの証しは、ただ一つで、何かがかわることである。

林竹二はそう書いています。

私は、高校時代、
当時の担任に薦められて著作を読んだとき、
この言葉の中にこそ真理があると、
胸を打ち抜かれたような思いがしました。

学校という現場で、
子どもたちを相手にしている先生たちは、
自分たちは子どもたちの世界を変える力を持っている、ということを
忘れないでください。
そして、そのことについて、
できるだけ繊細で、できるだけ慎重で、
そしてできるだけ大胆で、あってほしいと願います。

私の子育てについての悩みの答えは、
ほとんどが子どもたちの中にあったように、
教育、ということの悩みの答えは、
今目の前にいる子どもたちの中にあるのではないでしょうか。

一般論ではなく、個別のお話し。
目の前にいる子どもたち一人ひとりの中に、
答えを見つけていこうという姿勢が、
子どもたちだけではなく、
自分自身にも学びを、
変容をもたらしてくれるのではないかと
そう思います。