10回にわたって、「学ぶ」ということを思い出し、思い出し、
書き綴ってきたのは、
自分の中に「書かずにいられない」という衝動が止められなかったからです。

去年からこっち、
とてもすてきな若い先生たち、お母さんたち、
教育関係の方たちと知り合い、
いろいろな場所で共に学ばせていただいています。

これは、本当にありがたいこと。
オンラインならではだなぁと思います。

そして、その中でちょっと気になってしまうのが
「ありのままがいいよね」
「自由がいいよね」
「一人一人を大事にしたいよね」
という、やさしい言葉に「うんうん」と
みんなで共感しあいながら、
「で、どうしたらいいのですか?」という
たった一つの答えを求める空気というか、
圧力のようなものを感じる場面が少なくないこと。

「どうしたらいいのですか?」の答えは、
あなたと、あなたの目の前にいるお子さんとの関係性の中にあって、
一般論はない、How Toもない。
100の関係があれば、100通りのプロセスがあり、
学びによるあなたとお子さんの関係の変容がある。

一つのクラス、30人を超える子どもたちを前にして
その子たちすべてに通用するような方法とか、
共通のゴールとかはないんだっていうことを
なんとかして、伝えたいと思ったのです。

誰かの実践、成功例はとても参考になるけど
それが当てはまらないことのほうがはるかに多くて、
だからこそ、学ぶし、語るし、
お互いに失敗をさらけ出しつつ、
「あっ!」という気付きを得て、
より深い「学び」に向かっていけたらいいんだと思う。
迷いや、痛みや、悲しみを共有できたら
前に進めるから。

でも、全員ではないけど、
正解を求めて参加する人は一定数いる。
答えが欲しい。
正解があるとどこかで信じている。

あたたかく、幸せな
「ありのまま」「自由」「その子らしさ」という言葉に
どっぷりとつかってしまうと、
家庭で、教室で、それを支えるための正解がどこかにある、と
勘違いしてしまう。
正解は一つなんだ!という誤解が生まれてしまう。
そして、それを求める気持ちは
現状を変えたい気持ちが強ければ強いほど、
熱を持つ。

これは子育てでも同じことです。
「正解!」って誰かが言ってくれたらラク。
それに向かって突き進めばいいだけだから。
でも、そもそもそんなものはない。
そして、お互いの関係性の中で、
一瞬「正解?」と思われたことが、
次の瞬間「まっちがーい! ぶっぶー!」になってしまうことも、
しょっちゅう起こる。
なんなら、関係の深まりって、その繰り返しだともいえる。

さらに言うならば、方法論なんかめちゃくちゃでも、
ありのままとか、自由とか、平等とかいう
価値観とか、意識とか、
肌感覚、感性がしっかりしていたら、
子どもと一緒になって、
くんずほぐれつ学んでいける。

でも、その逆の場合、
価値観や感性が身にしみてないのに、
方法論だけで突っ走ると、
「ちゃんとやってるのに、うまくいかない」
というが起きる。
そこにフォーカスして、
幻の敵と戦い始めてしまう。

正解のはずなのに
うまくできない自分、
が敵になるならまだいい。

一番まずいのは、
「思い通りに動かない相手(特に子ども)」が
仮想敵になってしまうこと。
それによって、
目の前にいる子どもが傷ついてしまうことです。

これは避けたい。なんとしても。

もともと善意から出たものが、
その刃で
目の前の存在を傷つけるなんてことが
起きないように。

そのことを強く、
強くお伝えしたくて、
虎の威ではなく、
林竹二、竹内敏春という人たちの「威」を借りて
書いたわけです。

伝わってくれたらうれしい。
今 伝わらなくても、いつか、
ああ、こういうことだったのか、と
思い出していただけたらうれしい。