6歳と3歳の姉妹が、車の中で亡くなっていた、というニュース。
悲しい、腹立たしい、悔しい、いろんな気持ちがごちゃまぜになります。

さらに言うと、その中の「腹立たしい」がお母さんに向いちゃうことが悔しい。

お父さんは何をしていたの? 友だちはいなかったの?
二人の子どもたちの様子を注意して見ている人はいなかったの?
駐車場でちょっと車の中をのぞいて「ヤバい!」と気付いた人は
いなかったの?
「子どもは預けてきたんだ」と言われて「どこに?」と
もう一言聞いた人はいなかったの?

もうこれは、お母さんの問題じゃない。
周囲にいる誰かの問題。
そして私の問題だ。
もしかしたらあなたの問題かもしれない。

夜遊びだろうが、なんだろうが、
お母さんが一晩、お母さんであることを離れて、
自由に過ごすことに対して、
批判的な見方はまだまだ根強い。
お母さんになった以上、
数年間は我慢して当然なんだ、
楽しんじゃいけないんだ、って
思ってる人は少なくない。

でも、それが余計に子育てをつらくしてるんじゃない?
そういう時にほんとうに気軽に利用できる制度があれば
いいんじゃない?

真夏の駐車場の
エンジンをかけていない車の中で子どもが二人寝ていたら、
通報する人がいてもよかったんじゃないの?

普段から様子がおかしかったっていうなら、
ご近所の人や、子どもたちに関わる大人たちが
がっちり見守ってあげてもいいじゃない?

いい加減に手を出して、とばっちりは困る?
じゃあ、児相に通報っていう方法もあるよ。
いろいろ言われることもあるけど、
命までは失わずに済んだはず。

軽い気持ちで手を出しても、最後まで責任取れない?
だから手を出さない?
その最後って何? 
その子が成人するまで手元で育てるってこと?
そんなこと、できる人の方が珍しい。レアもレア。
でも、袖振り合うも多生の縁なんだから、
一歩だけ踏み出す。

「車の中で昼寝させてた子を起こされた!」って逆ギレされても、
「それならよかったわ~」って思えばいい。
逆ギレした保護者も「でも、見てくれる人がいる」ってことを
いつか、遠い未来にでも感謝してくれるかもしれない。
そういう雰囲気を作って行かなくてはいけない、と思う。

子どもを授かったら、お母さんだけが奮闘しないといけない。
その子の成長に関する責任は、家庭だけが持たないといけない。
そういう考え方があるのは承知している。
でも、それが無理な人もいる。
子どもは親を選べない。

その時に、一歩踏み出す勇気を持って、
気になる子がいたら
「心配してる」「見守ってる」「大切に思ってる」って
いうことを、保護者にも、子どもたちにも伝えるのが
周りの大人の「責任」だ!

私には関係がない誰かの話。
人でなしの親の元に生まれたかわいそうな子どもたちの話。

そうとらえているとしたら、
その人も「人でなし」の仲間入り。

インスタもやってます