30年来考えてきて、
先達の書かれたものも読ませていただいて、
論文なんかも読ませていただいて、
なるほど~!って思いながら、
違和感がぬぐい切れないのは、
「子育てを科学する」という視点。

確かにデータはある。
傾向もある。
時代の影響もある。

さらに、心理学、脳科学、医学、栄養学、運動学など、
心身の発達系の科学の影響も受ける。

私もそれを元に本を書いてきた。
自分の体験、経験、見聞きしたこと、
それらを見て感じること
思うことを裏付けるために。
イビデンスベースド、ってやつ?
イビデンスを先人の研究に求めて。

ただ、最近になって思うようになったのは、
その「科学性」に引っ張られて、
わが子を、自分の家庭をねじ曲げようとしてないか?
というギモン。

もしかしたら、私もそれに加担したのでは?
という不安。

「正しい家庭」
「正しい子育て」
「正しい子どもの成長」
というのが、「科学で証明」されているから、
それにのっとって子育てをしたら
間違いない、という誤解。

もしくは、
私、もしくはわが家、に
欠けている部分があるから、
「ちゃんと」できない。
それを補わないと、
わが子が「ちゃんと」育たない、という
強迫観念。

じゃあ、誰が見ても完璧!という
子育てや、家庭があるのか?
ということを、
まず冷静になって考えてみないといけないんじゃないか。
私も常に戒めておきたい。

そんなものあるわけない。

子育ては「科学」じゃなくて、
「生活」。

毎日毎日、朝から晩まで、
なんなら寝ている時間まで、
24時間すべてが関わる、
「生活」。

偉い先生も、現場で福祉に携わる方たちも、
そして、私のような「アドバイザー」を名乗るものも、
そして実際に子育てをしているご家族も。

もしかしたら勘違いしてないかな?

「A」をしたら「B」になりがち
という傾向はある。
でも、例外がものすごく多いのも子育て。

そして、「こうすべき」でどうにもならないのが
「生活」。

家族を取り巻く様々な状況が、
全部反映される。
「私の生活」は
すべてが子育てのためにだけあるわけではないし、
たとえそうしたからといって、
子どもが幸せに育つとは限らない。

子育ては、
自分の周りの大人たちの「生活」を
ながめて、学ぶこと。

大人になったらああなりたい
大人になってもああはならない
どちらもあり。

朝起きたら挨拶をするか、しないか、
したいか、したくないか、
それは自分で決めていいのに、
「挨拶をしないとダメ」みたいになってないか。

一日情笑顔でいたいのはやまやまなれど、
自分だって未熟、
周囲の状況だって、コロコロ変わる。
その中で
時にイライラしながら、
涙を流して怒りながら、
それでも、生きていく。
小さな楽しみや、
ささやかな喜びを、
見つけながら。

その大人の姿からこそ、
子どもたちは学ぶんじゃないか。

「よき子育てのため」に
何かをしたとしても、
それがそのまま響くことはなくて、
逆にその裏側に透けて見える
大人のホンネ、を受け取る。

それが子どもの成長だし。
自分もそうやって育ってきたし、
みんなそうやっていろんなものを受け取りながら、
大人になってる。

自分の幼少期に足りないものがあったからって、
それを自分の子育てで補おう、という考え方自体、
捨てちゃってもいいんじゃないか?

そんなことを考えるようになっています。