忙しいなあって思いながら、本のゲラと格闘しているとき、
Facebookのお友だちがこの記事をリンクしているのを見つけました。

お時間があれば、まずはお読みください。

ダウン症のある息子が「地域の一員」であるために、貫いた母の子育て軸

上のどちらからも同じ記事に飛べます。

先日書いた記事のブルドーザーみたいなお母さん、と
共通しているところがあるなあ。
「あきらめが悪い」ってご自身でも言ってる。

先生とか、学校のシステムとかは
「お子さんに危険が及んでもいいんですか?」
「お子さんの安全のためです」
「周囲の子も混乱すると思うんです」
「クラスの友だちが迷惑するのをお子さんは望んでるんですか?」
って言ってくる。

実際にそう言ってる現場もみてきたし、
そう言う人の側で物事を考えてたこともある。
それが「常識」「当たり前」と思っていた。

でもそれって誰を守るための発言なんだろう?
誰が安心していられるための「常識」なんだろう?

「何か」があったとき、
責任を取る人が困らないように?
苦情が来た時に「言うことは言ったんですけどね」と
言うために?

親が「危険でもいいからチャンスを与えてやってください」と
口先では言っても、もし万一「何か」があったら、
「止めてくれればよかったのに」と言われる可能性はゼロじゃない。
正直、そういう人も多い。裁判になったらどっちが勝つの?

「アナタの家の子どものために、うちの子が我慢させられてる」という
苦情に、親が「はい。すみません、でもわかってください」ではなく
「(学校や先生や組織が)やってもいいっていったもん!」と
ぶち上げられちゃって、苦情が全部学校に来るってことだって
よくある話。

当の親は知らん顔を決め込んで、
学校が苦情対応のためにものすごい時間と労力をさかれる。
ほんとうによくある話。

だから必死で予防線を張る。

でも、ここにも本人や当事者はいないんじゃないかなぁ。

先生も学校も親も、本人じゃない。
関係者ではあるけど、本人とは違う。

実際、緩やかなブルドーザーが進んで行ってみたら、
見えてきた景色が変わってくる。
みんなにとって。

当事者である子どもたちが変わっていく様子、
本人が楽しそうに過している様子に、
関係者が変わっていく。

そして、圧巻の体育祭でのリレーのお話しにつながる。

さすがに、親も、先生も「これは無理やろ?」と思うのに、
当事者たちは「できる」「やる」と言う。
どうしたら「できる」か必死で考える。

そして、奇跡が起きる。

なんでもかんでもこんなにうまくいかないでしょ。
たまたまでしょ。
だってお母さんも謙虚だもの。
先生に恵まれたね。
障害の程度が軽いからじゃない?

「いいわけ」はたくさんある。
私もたくさん持ってる。

でも、それは「本人」を前にして、
本人の「希望」「意志」を前にして
本当に効果がある「いいわけ」なの?

このお母さんにも会いたい!
会ってお話しを聴いてみたい!
とりあえず、宣言しておきます。

ので、「この人知ってるから紹介してあげるよ」という方は
ぜひよろしくお願いします!

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