新国立競技場は超満員。
チケットは早々に完売。
私たちも購入は諦めて、
テレビ観戦するつもりでした。

今回現地観戦ができたのは、
息子の同期が誘ってくれたおかげです。
チケットが一枚あるけど行く人! と、
いう呼びかけに、「行きたい!」と答えたら、
譲ってもらうことができました。

そして同様に、
自分が行けないのにチケットを
確保してくれた同期がいて、
これで とどさん、娘、私の3人での現地観戦が実現。

まず、このご縁に感謝です。ありがたい。

さらに、別の同期が少し早めに行って、
席を確保してくれたので、
私たちは慣れない場所で
座席探しにウロウロすることなく、
観戦することができました。

これにも感謝。本当にありがとう。

当日、満員のスタジアム、
横一列で観戦したのは、
息子の同期たち。
奥様を伴ったり、赤ちゃんを抱いたり。

実は、12年前、この子たちは以前の国立で、
「荒ぶる」を歌った子たちでした。

あの日は凍えるような冷たい大雨。
亡き私の母も一緒に並んで座り、
ダウンコートの上からポンチョを着て、
足元は長靴、膝掛け、そして下からゴミ袋を履いて、
ぶるぶる震えながら見ました。
寒さなのか、緊張なのか、わからない震え。
これまで数限りないラグビーの試合を見てきたはずなのに、
試合の展開も覚えていないくらい。

極限まで高まった集中と緊張が、一気にほどけた瞬間。
ノーサイドの瞬間から
私はずーーーっと泣いていました。

6歳から始まった息子のラグビー生活が
文字通り走馬燈のように頭の中をぐるぐる周り、
その節目節目でお世話になった方があらわれては消えて、
息が苦しくなるくらいしゃくり上げて泣きました。

その号泣ぶりたるや、
一緒に応援していた同期のママから
「あんなに泣いてる大人を見たことがない」と
言われたくらい。

ラグビーはケガと縁が切れないスポーツです。
うちの息子だけではなく、
大きなケガを経験した選手は少なくないはずです。
中には命に関わるケガもあります。

一度ケガをすると、
自分のポジションと思っていた場所は、
先輩や、同期や、後輩が務め、
彼らがどんどん活躍すれば、
自分が戻る場所はなくなってしまいます。

しかも、スポーツ選手がケガをして、
競技に復帰するまでには、
「治る」だけでは足りません。
「治った」ところから、
長い長いリハビリが始まるのです。
それは自分との戦い。
それに辛抱して、
歯をくいしばって取り組み、
ようやく復帰。

一軍、二軍・・・・・・と多数の部員がいるチームでは、
長く一軍にいたとしても、
いきなり一軍で復帰などできません。
下のチームで復帰して、認められれば、
少しずつ上のチームに上がっていく。
一軍としてピッチ立てるのは、
実力、努力だけではなく、
運にも恵まれた一握りであることを、
彼らは知っています。

それを知っているから、
彼らの結束は強い。

そして、親同士の結束もとても強いのです。
「あの子を出し抜いて、レギュラーになりなさい」なんて
思っている親はいない。
息子の仲間のいたみを、それを見守る親のいたみを、
ひとごとではない、ととらえる感受性が、
一体感を生みます。

前置きが長くなりましたが、
優勝できるか、できないかというのは、
時の運、紙一重のせめぎ合いです。
でも、公式ジャージを着ていようが、
ピッチでサポートしようが、
スタンドで応援しようが、
あの日、あの場所にいられることは奇跡に近いこと。

みんなが望み、たくさんのことを犠牲にして
一途に取り組んできた先に、
実力と、努力と、運に恵まれた2つのチームだけが、
あそこに「当事者」としていることができる。

その重さを知っている子たちと、
10数年の時を経て、
並んで観戦する時がくるなんて。

あのとき号泣していた私に教えてやりたいです。

早稲田のラグビー部員が、
日本一になった時だけに歌える、
第二部歌、「荒ぶる」

後輩たちがその「荒ぶる」を歌う姿を見て、
彼らはどう思ったのかな?

実は、正直私は「ほっ」としました。
現役の部員と親しく付き合っているわけでもない、
ずっと応援し続けていたかというと、
それほどでもない。

だから、よかった~! ではない。

なんか、「ほっ」とした。
ふっと力が抜けたような、
そんな感じでした。

あの優勝は私や、
私の家族にかかわるものではない。
だから、そこに距離感がある。

でも、どこかの、だれかの、
号泣に値する優勝です。

そして、その陰には、
同じぐらいがんばったのに、
どうしても届かなかった11年間があった。
それぞれに、それぞれのストーリーがあった。
今もそれは続いている。

その人たちの「何か」も
今回の優勝で少しは肯定されたのではないかと、
そんなことも考えます。

また、永遠のライバル、といわれる
対戦相手があってこそ、の勝利です。
すばらしい試合でした。
ハーフタイムでしっかり修正し、
あと一歩まで迫り、追い詰める。
あの決勝の舞台で、
それができるチームはそう多くありません。

超えたい相手がいるからこそ、
立ちたい頂があるからこそ、
そこに向かって進んで行くことができる。
「目標」なんて意味が無い、って
そういう人もいるけれど、
そんな言葉遊びにつきあっているヒマがないくらい、
本気で「目標」に向かっている人たちがいます。