今週は「子育てをひらいていこう」をテーマに書いています。

私が子育て中に住んでいたところは、
比較的豊かな家庭が多くて、
さらにバブル期だったこともあり、
なんかみんな幸せそうに見えました。

私の周りの人たちは、
みんな余裕しゃくしゃくで、
経済的にも豊かで、
精神的にも豊かで、
すごくいい感じでおしゃれに子育てしてる、
っていう印象を持っていたのです。

翻って自分は、
子育ても理想通りにはいかない、
経済的にも余裕がない、
夫との関係もあまりよくない、
動き出したいのに自由にならない、と
いろんな意味でがんじがらめ。

いいな~、うらやましいな~と
指をくわえて横目で見ながら、
なんとかその状況を脱したいと、
あがいて、もがいていたのです。

その後、当時親しく行き来していた方たちも、
それぞれ転勤があったり、
新居を構えられたりして、
子どもの成長と共に、
お付き合いも薄くなっていたある日、
偶然その時に私があこがれていたママ友の一人と
再会しました。

彼女は外見もすてきで、
子どもたちもかわいくて、
親御さんから受け継いだ土地にすてきな家を建てて、
優雅に暮らしている人、という印象でした。

私が子どもたちを抱えて、
あちらへこちらへと走り回っているのに対し、
彼女は手作りのお弁当を用意して、
子どもたちの好きな電車を見に行き、
「電車とバスの博物館」にこまめに通い、
本当にいいお母さんだなあと
しみじみ眺めていたのです。

その彼女と15年ぶりぐらいに再会して、
久しぶりにゆっくり話をしたところ、
当時の彼女がどうしようもなくつらかった、
ということを聞きました。

夫はバブル期のサラリーマンの常で不在。
子どもの指しゃぶりがとまらない、
何かあればすぐに癇癪を起こす、
それに対して自分は「虐待じゃないか?」と思うくらい
声を荒げる。
それに下の子がおびえる……

家の中にいると、常に負の連鎖になってしまうので、
幼稚園の後は極力自宅に人を招くか、
自分が訪ねていくようにしていたこと。
それができないときには、
人目のあるところに行って、
暴走する自分にブレーキをかけようと思って、
電車を見に行っていたこと。

彼女は彼女で、
子どもを抱えてあちこち走り回っている私のことを
「ひたすらうらやましい」と思っていたということ。

私はただただ「ごめんね」って言いました。

あの頃、ただ、彼女にあこがれていて、
それでもなんか自分との落差が激しすぎて、
でも、それを認めるのが悔しくて
「あこがれてる」って言えなかったこと。

あのとき「あなたにあこがれてる。
すてきだと思ってる。
それに引き換え自分はダメだと思ってる」って
もし言えたらどうだったかな?

たら、れば、はないけれど、
あの、若い日の私に、
「思い切って言ってみなよ~」って
言ってあげたいな、と思います。

私たち、きっと もっといい友だちになれたんじゃないかと思うのです。

ほかにも、当時私が「別世界の人」と思っていたママ友たちが、
それぞれ葛藤を抱え、
子育てに悩み、人生に悩み、苦しんでいたこと、
後になってから知りました。

もちろん、なんでもかんでも、
誰にでも彼にでも、
話せばいいっていうものではない。
私に当時の苦しさを伝えてくれた人たちも、
「通り過ぎた」から言えるようになったのかもしれない。

でも、もし今「私だけがつらい」と思っているのなら、
それは大いなる誤解です。

だからあえて、「子育てをひらいてみませんか?」と
お伝えするわけです。

ひとりじゃない、って思えるって、
自分をすごく強くすると思うから。

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