すでに推薦で進学が決まっていた高校から
仲間と一緒の進学先に変えたいと言った彼は、
お父さんから強く罵られはしましたが、
それはもう覚悟の上のこと。

でも、言葉を尽くしているうちに
「それなら勝手にしろ!」と反応が変わります。

これは少しだけ進歩。
でも、経済的な支えがないと、
進学は叶いません。
「勝手にしろ!」と言われても、
どうにもならないのです。

やはりお父さんの言うとおりにしなくてはいけないか、
そう諦めかけたとき・・・・・・。

そんな彼の気持ちを理解し、
支えようと味方になってくれたのは
それまでお父さんの陰に隠れるようにして、
彼を見守ってくれていたお母さんでした。

共働きで朝から晩まで働きづめ。
亭主関白を絵に描いたようなお父さんの陰で、
進学についても、
元々の個人種目で活躍しているときにも、
積極的に手出し口出しをするお父さんに対し、
お母さんから何か言われたような記憶はありませんでした。

全てお父さん主導で決めてきたことに
特に異論を唱えることもなく、
ただ淡々と認めてくれた、という感じでした。

そのお母さんが、
初めてお父さんに「たてついた」わけです。

これには彼も驚きました。

今度は二人がかりで説得を試みますが、
元々頑固なお父さんでしたから、
やはり聞き入れてはくれません。
「勝手にしろ」と言うばかり。

そんなお父さんに、お母さんが取った行動は、
驚くべきものでした。

「それなら勝手にさせていただきます。
息子を連れて家を出ます」

そう言うと、アパートを借り、
身の回りのものをまとめて、
本当に家を出てしまいました。

そして、彼の意志が通るように、
元々決まっていた高校にはていねいに詫び状を書き、
彼が望んでいた進学先に進めるように、
状況を調えてくれたのです。

今度はお父さんの出る幕なしです。

経済的には大変でしたが、
お母さんは正社員として働いていましたから、
贅沢はできないまでも、
なんとか生活はできました。

学費は推薦入学を認めてくれた高校や大学が
「奨学金」という形で負担をしてくれることになりました。

そして彼はお母さんのその決意に応えて
高校でも大学でも真摯に練習に取り組み、
社会人でも選手としてのオファーがあちこちから。
さらに、日本代表として国際大会でも活躍しました。

「子どものために」
私はそこまでできたか?

彼のことを考えるたびに
自分に問いかけますが、
私にはそこまでできなかったなぁと思います。

彼のお母さんの行動力は、本当にすごいなぁと思うのです。

私が知る範囲で、
こんな「子どものために」を実行したのは、
彼のお母さんだけです。

このご夫婦のその後は、
またまた語り尽くせない紆余曲折がありました。
それはまた別の機会に書くとして、
結論だけをお伝えすれば、
お父さんは彼の試合を応援に行くようになり、
今は二人で穏やかに暮しておられます。