私が子どもたちのPTAに関わっているとき、
障害のあるお子さんの受け入れで揺れに揺れたことがありました。

お母さんは特別支援学校ではなく、
普通級に入ることを強く希望しておられ、
就学時健診を拒否、
とにかくみんなと一緒に学ばせたい、という主張でした。

そのお子さんは重度の肢体不自由で、
一人での移動はできない。
大きなサイズの車いすで、
リクライニングした状態でないと
過ごせないという状態。

そのときの細かないきさつはもう覚えていませんが
・1階の教室をバリアフリー化する。
・ついては、学年が上がるごとに上階に移動していくシステムを
この学年だけは適用しない。6年間1階で学習する。
・当該のお子さんをサポートするのに、補助的な人員を配置する。

というような対応になったと思います。

学年が上がるごとに上階に移動するのは通例だったので、
それを楽しみにしているお子さん・保護者も多く、
反対の声もありましたが、こればかりは致し方ない。
エレベーターもリフトもないのでは上下階の移動は基本困難です。
ご理解頂くほかありませんでした。

また、急遽学校の求めに応じて、
保護者が交代で補助員として入ることになりました。
簡単な講習を受けて、
日替わりでそのお子さんに寄りそって、
不自由な部分をサポートするわけです。

これが半年ぐらいの間で決まったのですから、
全校をあげてバタバタ!
どうなることか、とみんなが心配する中、
入学式があり、新年度が始まりました。

蓋を開けてみたら、
細かな調整が必要なことはありましたが、
それぞれの善意と好意と譲り合いと、
いろんなものが合わさって、
意外にうまくいった、というのがそのときの私の感想。
あくまでも個人的な感想です。

ただ、夏休みが終わるかな?というところで、
なんと、そのお子さんが急遽転校してしまったのです。

「意外にうまくいっていた」はずなのに、
その転校が突然だったことで、
なんかみんなが抱えていた思い、
押さえ込んでいた思いがパン、と弾けたようになりました。

ここまで我慢したのに
こんなに準備したのに、
みんなで譲り合ってきたのに、
やっと慣れてきたのに・・・・・・

あんなに普通級を主張していた保護者が、
「いろいろお世話になりました。これこれこういう事情で・・・・・・」
というようなご挨拶もなく、突然いなくなってしまったことが、
余計に「怒り」を呼んだという部分は否めません。

ずいぶんひどいことを言う人もいました。

私も夏休み明けに新学期が始まったところで初めて知って、
なんか狐につままれたようになったのを覚えています。

ただ、腹が立ったかというと、そうではなかった。
なんか脱力した感じはありましたが、
怒りというのとは違うなぁと思いました。

今回、この本を読んで、
しばらく忘れていたこのことを思い出したのは、
「みんなの学校」っていうことを改めて考えたからです。

ほんとうは、
ある一人のお子さんの入学ですったもんだして
整えた環境って、
あたりまえにあるべき物じゃなかったのか。

そして、誰かのために、みんなが「我慢した」と思ったのは、
なんか違ったんじゃないか。
正しいとか間違っているとかじゃなくて、
そう思っちゃう、思わされちゃう状況自体が
「みんなの学校」とは違ったんじゃないか。

たとえどんなお子さんが入学を希望したとしても、
全力で「できる」に向けてサポートし、体制を整える。
難しいこともあるだろうけど、それをみんなが
「我慢しないで」実現していく。
っていうのが「みんなの学校」なんじゃないか。

結局、そのお子さんの転校が決まって
ホッとした人が出たり、
逆に「ここまでしてあげたのに」と怒りを覚える人が出たりするのって、
ちょっと違ったんじゃないか。
さらに想像をたくましくしたら、
転校を決めた背景に、このみんなの「無理してる感」が
ビンビン伝わってたんじゃないか。

対等な保護者の一人として、
その保護者の方と向き合ったかというと
全然そうじゃなかった。
「転校しようと思うの」と誰にも相談できないって
その保護者だけのせいだったんだろうか?

そんなことも考えました。

現実にはまだまだ難しいことだとは思いますが、
この本の中で、実際にその実現に向け、
確実に一歩を踏み出したことで、
学びを得たのは、障害がある当事者だけではなく
周囲の人たちもだったのだ、というところに
「みんなの学校」の大事なポイントがあるように思います。

細かなところは記憶にないこと、
そして当事者の許可を得ていないことがありますので、
当時の状況は脚色してあります。

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