先週の金曜日、1月17日は阪神大震災の起きた日でした。
25年目の追悼の日

去年書いた記事

つまり25歳以下の人は生まれてない。
30歳以下の人はほとんど記憶にない。

それより年上であっても、
阪神地区に住んだことがない、
親戚も知り合いもいなければ
やはり実感はないでしょうね。

そんななかで、昨日のことのように覚えている人がいる。
忘れたくないと意を決した人、
忘れたくても忘れられない人がいる。

普段は忘れているのに、
こうやって取り上げられると
思い出さざるを得なくて、
しんどい人もいるんだろうなぁ。

記憶とか、追悼とか、
色褪せないようにとか、
忘れない、忘れてはいけない、とか
そんなこと言うけど、
そのうちの何人が、それを心の芯、
背骨のど真ん中の芯のところで、
捉えているんだろう?と思ったりしました。

私の場合は、あの日母が一人で大阪にいて、
心配で心配で、連絡もつかなくて
不安で気持ちが悪くなりそうな一日でした。

その母も亡くなり、
確実に自分の中では風化しているなぁ、
と感じた今年の1月17日。

3月11日もいずれそうなる。

そういう意味では、
8月6日も、8月9日も、8月15日も、
どんどん風化していってる。
体験したことないから、
体験してみたいなあ、なんて、
そんなこと思う若者も出てくるんだろうなあ。

いつのまにか中東に自衛隊が派遣されたり、
お隣の国々との間で、
ちょっとした行き違いが修正できなくなったりしている。
そして
腹が立つ! ナットクがいかない! 
あいつらが悪い! あの民族が許せない!
って空気が増幅している。

なのに、ちょいとそこのあの島で、
人が消えちゃったりするくらいの「暴動」とか「デモ」とか
そういうのが起きてても、あんまり関心ない。

人は、「自分のこと」じゃないと、
全然こころが動かないんだな。