土日が出勤だとうれしいのは、
比較的電車が空いていることです。
わずか30分くらいの乗車ですが、
座席に座れるとちょっとうれしい。

先週の土曜日も、
ラッキーなことに、
乗車駅から座ることができました。

そして、途中駅で左隣の方が下車、
入れ替わりに、30代くらいの女性が乗ってきましたが、
この方がとても神経質(に感じた)なのです。

前の人が立ち去った座席には、
確かにホコリのような、糸くずのようなものが
2か所ほどに残っていました。
よく見ないとわからない程度、ですけど。

彼女はそれが許せないらしく、
それをつまんで床に落とすと、
何度も何度も手で座面を払い、
ようやく着席。

この間に電車はもちろん駅を出て、走り出しています。

で、席に着いた彼女が、
おもむろに自分のバックから出したのは、

袋入りのパン

開封すると、手でつまんでムシャムシャ食べ始めます。

私のギモン
1 座面のホコリをつまみ、何度も座面をなでた、
その手でパンを摘まんで口に入れるのは気持ち悪くないのか?
2 パンくずが、膝の上、床にとポロポロこぼれますが、
それを次の人が嫌がるとは思わないのか?
の2点。

これ、彼女に腹が立った、というのではないんです。
純粋に不思議だなぁ、と。

亡くなった母が、
人はみんな「勝手癇性」やからね。
と言っていましたが、
その通りなんだなぁ、と。

癇性~かんしょう~というのは、
関西弁でしょうか?
神経症、といってもいいくらい
神経質な性質を言います。
そして、そういう人のことを
「癇性病み」~かんしょうやみ~と言ったりしていました。

母は、神経質というのは、人それぞれで、
自分勝手に都合良く発揮されるもの、ということを
言っていたのだと思います。

自分の席が少しでも汚れているのはイヤだけど、
次の人が座る席を自分が汚していることには気付かない。

何度も何度も手を洗うのに、その手ですぐに鼻くそをほじって、
さらに、その手で共同使用のキーボードやマウスを操作する。

フードコートなどで食べる前に除菌シートでテーブルを拭くのに、
自分が食べたあとの食べこぼしはそのまま。

なんてね。

結局自分で気にならないもの、見えないものは、
ないと一緒、
そして、人がやったことは気になる、
ということなんでしょうねぇ。
そして、これは誰にでも起きること。
誰もがそういう感覚を持っているのではないかな、と
そんなことも思いました。
もちろん私も。

義理の母は「見ぬもの清し」と言っていましたが、
自分が見えないと、
それは「ない」ことなんだから、
気にならないってことになりますかね。

みなさんはどうですか?