mohamed HassanによるPixabayからの画像

アメリカが銃社会であるとか、
日本での銃刀法の問題とか、
話題になることがあります。
そのたびに
思い出すことが一つあるのです。

今から40年前のお話し。
当時、今の私と同じ年くらいだった、
大学時代の恩師から聞いたお話です。

当時も、アメリカが銃社会であり、
乱射事件が起きたり、
暴発などのアクシデントが起きたり、
強盗などの犯罪に利用されたり、
といったことが問題になっていました。

どこの家にも、
護身用に
ライフルやピストルがあり、
何かあったら撃たれる危険性がある、
という状況は
日本に暮す大学生には無縁のものでしたから、
なんでそんな危険な物を自由にさせるんだ!
というような考え方をしていた私。

でも、恩師の説明は違っていました。

アメリカと日本は国の成り立ちが違う。
自分たちの力で国の独立を勝ち取った国なんだ。
だから、その国の国民は、
自分たちの政府が間違ったことをしたときに、
それに対して武力を使ってでも、
差し止める「権利」を手放さない。絶対に。

というのです。

※これはあくまでも私の恩師の解説です。
事実と違っているかもしれません。

今の銃社会がその精神をきちんと反映したものに
なっているかどうかはわからない。
また、銃を持っている人みんなが
そういう意識で所持しているのでもないとは思います。

ただ、根底に
「万一自分たちの政府が間違ったことをしたときに、
対抗する手段としての武力」という位置づけがあるとしたら、
それは手放せないなぁ、と納得したのを思い出します。

光州事件では、
民衆が軍の武器庫を襲って、
武力を手にしたことで、
死者が大幅に増えたという説もあります。

香港で起きていること、
タイで起きていること、
そこで、民衆が武力を持っていたら、
ものすごい犠牲が出るのは間違いありませんが、
そこでもたらされる結果も大きく違うように思えます。

武器を手に蜂起した群衆に対して、
今は放水や警棒での対抗程度で済んでいるものが
どのような対応になるのか、
想像してみるまでもありません。怖い。

日本では
百姓一揆を考えても、
武器を持たない民衆は蜂起しにくい。

また刀狩り、という施策は、
民衆に武器を持たせない、という意味で
すごく有効な方法ではないか。

どちらがいいとか悪いとか、
今すぐ決められないけれど、
私はどっちがいいと思ってるんだろう?
それについても、うーん、と考えこんでしまいます。

そして
あと十年か二十年もすれば、
こういう争いは基本バーチャルの世界で
行われることになるのかもね。


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