ラグビーワールドカップに浮かれている間にも、
げんなりするニュースは後を絶たず、
気持ちが沈んでしまうことも度々。

中でも「そうだろうなぁ」「やっぱりね」と思わされたのが、
教員同士の「いじめ」

子どもたちの間に起きていることが、
同じ場所にいる大人たちに起きないはずはない。
というのと、
こういう大人たちの雰囲気の中で、
子どもたちだけに「いじめはだめ」とかいっても、
それは通用しないし、効果はないよね、
というのと。

ずっと以前から言っていることだけど、
なぜ教育の世界が
「いじめはあってはいけない」という前提で
話を始めるのか、というところに
ずっと疑問を持ってきた。

人が集まれば、
どこにでも「いじめ」が発生するおそれはある。
私が半世紀以上生きてきた場所でも、
どこにでも「いじめ」はあった。

私がいじめる側になったこともある。
いじめられる側になったこともある。

いじめる側になったときの、
心のささくれ、尖り、ゆがみは、
そのときの自分にはコントロール不能だった。
今振り返ると恥ずかしいけど、
でも、そのぐらい未熟だったし、
自分自身もギリギリだったと思う。

いじめられる側になったときに
「相手が悪い!」と言い続けても、
自分が置かれた環境はすぐには変わらないってことも
嫌と言うほど経験してきた。

どうして学校は、社会は、
「いじめはだめ」「いじめる側が悪い」ということばかり
言うんだろう?
それは正論。揺るがないけど。

運が悪かったら、
集団の中で簡単にいじめられる側になることがある。
それはものすごくたくさんの人が経験している。
そんなときに「正しい」「正しくない」を言っても、
自分はぜんぜんラクにならない。
だから、自分の気持ちを守ることを最優先にするといいんだよ。

学校なら、どんどん休む。
会社も、どんどん休む。
ちょっと力が戻ってきたら
自分が安心していられる場所を探す。
楽しいことをみつけて、どんどんやる。

いじめとまではいえないけど、
自分が「からかい」の対象になって、
なんとなく居心地が悪いと感じたとき、
自由にその場を「外す」ことができる雰囲気があれば、
こんなに辛くならないんじゃないか、と
そう思う。

そして、特定の誰かをターゲットに、
命の危険があるくらい執拗に繰り返される「いじめ」が
これだけ蔓延しているのは、
日本だけ、と言われていることにも、
もっともっと真剣に向き合った方がいいと思う。

いいかげんに、だらしなく、適当にやることが、
自分も、相手も、世の中も、
ラクにするんだってこと、ある。
きちんとやりたい人はやればいいし、
できない人は、できないんだよね、と言えたらいい。

そんな世の中にするには、
どうしたらいいんだろうね。

とにかく「ゴール」は
元気に学校に通えること
休まず仕事に行けること
ではないということ、
せめて当事者には本気で届いて欲しいと思う。

みなさんは「いじめのない世界」をイメージできますか?