人生っていろんなこと、ありますよね。
いいとき、わるいとき。
しあわせなとき、ふしあわせなとき。

ただただしんぱいなとき、
ただただふあんなとき、
ただただうれしいとき、
ひたすらかなしいとき……

いいときはいいけど、
しんどいときは、
どうやったらそれを変えられるか?って
考えちゃいますよね?
私はずっとそればっかりかんがえて
悪あがきしてきたような

そして、さらに最近も、
もうごちゃごちゃ考えちゃうんですよ。
一所懸命に生きてきたのに、
戦争で命を絶たれるってどうよ? とか
あんなに頑張ってたのに、詐欺に遭うってどうよ? とか
お子さんが重い病気になるとか、
事故で不幸な目に遭うとか
そういうの、どうよ? って。

誰にも顧みられなくても、
神様ぐらいは自分のことちゃんと見ててほしいなあって思う気持ちとか、
私のことはいいから、大切な人を守ってくださいって祈る気持ちとか、
そういうのって神様にとっては(いると仮定してね)すごく些末なことで
何十億分の一のちっこいことで。
まあそこは自分でがんばってよ、
その力は渡しといたからさ、ってことではないかなぁ。

神様は
「自分としてはこの35億のことを考えようかな?って思うわけよ。
そんであと宇宙ね。この宇宙。そっちのほうが忙しくてさぁ」
とか言ってるんじゃないかなぁと。

だから、私たちにとっては許せないようなできごとも、
神様にとっては「バグり」みたいなところがあって、
そこはもう、うけいれておくれよ、
的なところなのかなあって。

そうでも考えないと、
気持ちを収めておく場所がみつからないなあって。

私が考えているような、
自分勝手な理想を詰め込んだ神様、なんていなくて、
もっとおおざっぱに、おおづかみに、
この世界全体のことを動かしてるのが神様なのかなあって。

そう思ったら、なんか気持ちが落ち着いたって言うか
「まあ、しゃあないか。
ぼちぼちいこか。
いやなことグジグジかんがえてるより
いいことにたくさん出会える人生にしていこうか」とか
そんなふうに思うようになったんですね。

もやもや
むかむか
どきどき
いらいら
しているなかで、
若いお友だちがこの世に新しい命を産み出して
一度も会ったことがない彼女なのに、
すやすや眠っている新生児の画像に
なんか自分が清められているような気もして。
ああ、これが癒されるってことなのか、と思って。

また生きていけるなあって思えて。

だから、おおざっぱな神様には、
過剰な期待をせずに、
まあ、まいにちできるだけ楽しく、
過ごしていけたらいいなぁって。

まとまりないんですけど
そういうまとまりのない感じも
のこしておきたいなあって思っています。

※あ、言わずもがなですが、
私特定の信仰は持ってないです。
どっち寄りっていうのはあるけど、
熱心な信者、とかではないので申し添えます。