今日は本業?の子育てのことを。

教育に関する問い直しと同じように、
子育てに対してもこれまでの「常識」が問い直されています。
ママ一人のワンオペ育児はだめ
育児参加しないパパはだめ

これも揺り戻しじゃないかしら?
本当にだめ?

いやいやいや。
それはちがうんじゃないかな?
それぞれ事情はあるでしょうから、
そこは誰かに決めてもらわなくてもいいんじゃないの?
自分で決める。もしくは自分たちで決める。

育児と仕事を分担する
一人で育児も仕事もがんばる
なんでもいい。

確かに、ワンオペ育児はつらい。
でも、だからこそ、私は周りの人と助け合ってきた。
他人だけど、家族みたいな子育て仲間に、
いろんな場面で助けてもらった。
夫婦で助け合って、仲よく子育て、は
ある意味きれいかもしれないけど、
そこで完結してしまったら、
子育ての広がり、豊かさに出会えないこともあるんじゃない?

両親だけじゃなくて、
その子を取り巻くすべての人が
その子の育ちにかかわるんだから、
取り立てて「パパが」「ママが」と言われるのには
違和感があります。
もちろん子育ては家庭が担う部分が大きい。
ただ、そこでうまく回ってしまうと
子育てが閉じてしまう、ということも懸念します。
完結しちゃってるから。

これって、子育てにとって決してプラスではないと私は考えています。
※これはあくまでも私の考えです。

夫婦で共働きで、二人で頑張っても間に合わないなら、
それぞれの両親に、保育者に、地域の人に、助けてもらう。
それでいいじゃない?
どんどん助けてもらえばいい。
周りも、どんどんお節介すればいい。

さらに、向き不向きもあると思います。
子育てが苦手なママがいても、
子どもの気持ちや様子に鈍感なパパがいても、
それはそれでいいんじゃないかと思うんです。

こんなに洋服が汚れているのに着替えさせてくれない
汚い手のままで食事させた
見てて!って言っているのに「見てるだけ」で何もしない
なんかあると怒鳴る
ママの気持ちをわかってくれない……

パートナーへのいろんな不満が
「子育て」を機に噴き出してくる。
同じだと思っていた価値観の相違、
大切なわが子に対するすれちがいだけに、
許せない気持ちにもなる。

でも、まだまだ、全般的な傾向として、
男性は成長過程でそういう訓練も受けてきてないし、
細やかな育児のあれこれに対応するのが苦手なことも多い。
苦手なことを「やれ」と言われ、
できないと「ダメ」って言われる状況って、
子育てに一番なじまないことなんじゃない?
↑これは女性に言い換えてくださってもいいです。

苦手でも、できなくても、
その中で一人の命の育ちを見守っていくような関係性があれば、
具体的に何をする、しない、じゃないんじゃない?

一時的に女性が主に担う時期があってもいいし、
逆があってもいい。

子育ては夫婦一枚岩で、と
言いたい気持ちはわかるけど、無理だと考えます。
それでいい、それがいい。
世の中にはいろんな価値観の人がいて、
好きでいっしょになったパパとママですら違う。
祖父母も違う。
「みんな違うんだな」ということが
自分の身近なところで
身にしみてわかる。肌感覚としてわかる。
これ大事。

最近、夫婦で一枚岩で、正しい子育てをしようとしている方たち
増えているなあと感じます。
でも、たとえば「急に熱が出た!」というとき、
二人同時にスマホを手にして、ググって、
「これが最良!」って対応する姿を見ると、
そうじゃないやりかたもあっていいんじゃない?って思うんです。
途方に暮れる おろおろする ただ抱きしめることしかできない
それでもいいんじゃない?
ただただ苦しんでいる子を本能的に抱きしめている親と、
ググって対応法を探す親がいていい。
「大丈夫よ」って見守るジジババや
「こうするといいよ」って教えてくれる
近所の先輩パパママがいてくれると心強い。
いろんな人に囲まれて、
成長していけばいいんじゃない?

逆に、両親や周りの大人みんなから
「同じ価値観」で育てられるのって、
すごく息苦しくないだろうか?
それよりなにより
「両親が力を合わせて同じ価値観で育てるのが善」と言われて
「わが家はばっちり~!」って思える家庭ってどのくらいありますか?

私、正直「皆無」に近いと思うんですけど。
どこか一点だけが合致してる、
それでもいい、そのくらいでちょうどいい。
そうじゃないですか?