私の思春期は、親への恨み言で満たされていたといっても
過言ではありません。
ご存じの方はご存じのとおり、
ものすごくパワフルな母でしたし、
基本「こうあるべき」というところを
子どもである私には強く押し出してきました。

翻って本人はいたって自由。
望んでいたことではないと思いますが、
二度の離婚、
妻ある人とのおつきあい、
スナックの経営、
そして一人っ子の私の子育て。
↑ つまり私は子どものころから基本一人暮らし。

商売下手、
お客さんには気前よくおごり、
ツケにも気軽に応じ、
いつもうちは貧乏。
でも、外から見たらそう見えないから、
その貧乏部分は私が一手に引き受けているんだ!
というくらい被害妄想の塊でした。

どのくらい貧乏かというと、
電話がしょっちゅう止まるくらい。
年金は一切払わないし、
保険料も払わない。
私が大学に入ったとき、
遠隔地医療者証(別居の家族用の保険証)が
出してもらえず、
奨学金から毎月少しずつ滞納分を返済することを条件に、
役所から医療者証を送ってもらったことがあります。

それを母に言ったら
「そんなん必要ないのに~」と一蹴されましたが。
病気になったらどうする気だったんだろ?

でも、私の誕生日にはホテルに一泊し、
フルコースのディナーを食べ、
朝はルームサービスで朝食を、
というようなこともしていたので、
そのちくはぐさもパワフルなんですけど(笑)

母曰く、将来どんなお付き合いをするかわからないから、
どんな場所でも自然にふるまえるようにしておきなさい、
気後れしないように経験させておくから。
でした。どう? 貧乏なのに。

でも、周囲の方にかわいがっていただいて、
持ち物とか、食べ物とかは
すごく贅沢もしてたんです。
そのちぐはぐさ。

今でこそ、笑って話せるけど、
当時は本当にしんどかったんですよ。

昨日有名な漫画家さんの娘さんが、
お母さんとの関係で心をいため、病んでいた、
という記事を見て、
いろんなことを思い出し、
また、うちの子どもたちのことも考えさせられました。

自分の中で蓋をしていたことが、
ちょっと噴きだした感じ。

本を書いたりするのはペンネームを使いますし、
パブリックな講演では、あまり自分の子どもたちの話は
しないようにしています。
それは私が心がけているだけで、
彼らにとっては「いやいや、話してる、話してる!」って
思うかもしれない。
自分の子育て時代の失敗を公表するだけでout!ってことかも。

母にしんどい思いをさせられたから、
子どもたちにはしんどい思いをさせたくない、と
突っ張って、頑張ってきたつもりですが、
それがそのまま伝わっているかという決してそうではないと思います。
彼らにとっても、私はやはりやっかいで、パワフルな母親。

夕方、オンラインで少しだけ母仲間(異年齢のね)と話し、
ドロドロした感じが緩和され、
夜は早々に寝て、
起きたらちょっとすっきり。

今だからわかる。
母には母の想いがあった。
わたしにもわたしの想いがあるように。
そしてそれは母の子どもである私とも、
私の子どもたちとも、
すれ違うんだろうと思います。
それは、どんな親子でもそうなんじゃないか。

親への恨みバネにして、
ここまでやってきたという部分は否めない。
断ち切りたかった連鎖は断ち切れていない。
でも、今までの人生、
そのおかげでなかなか楽しかった。
今はそう思えます。
この年になったから。かな。

子どもたちには
いろいろ至らないことはたくさんあったし
これからもあるだろうと思うけど、
その時、その時で、
私もいっぱいいっぱい、
必死だと思うので、
そこはもうあきらめてください、と
お詫びするしかないです。

というわけで、今日も元気におでかけしてきます!


大阪でお茶会します 6月13日午前中です。
参加希望の方は、
ここにご記入くださいませ。←会としてはお茶会一択になりました💦