私は三歳の時に両親が離婚して、
母が昼夜問わず働きながら育ててくれました。
そして、母の手と目と心が届かないところを
たくさんの人が埋めてくださった。
当時はそういうものだと思っていましたが、
還暦になった今になって
すべての方に、感謝しかないなぁと思っています。

そして、その中のひとり、
思春期のややこしい私。
自分でも自分を扱いかねていた私と、
さらにその私に混乱する母を支えてくださった
恩人のような方、Kさんが
亡くなったとの知らせが来ました。

しかも、昨年12月に亡くなっていたと。

実はその12月には、
共通の知り合い(友だちとは言いづらい(^-^;)でもある
「千の風に乗って」の新井満さんが
亡くなりました。

お二人とも、私ととどさんの
結婚式に来てくださったのです。
新井満さんはギターをもってきて
歌を唄ってくださいました。

私たちは「アラマンさん」と呼んでいたのですが
そのアラマンさんが亡くなった時、
Kさんからもメッセージが来て、
ほんの数往復でしたが、
個人を偲び、思い出を交換したのです。

まさか、そのおなじ月に、
Kさんまで亡くなっていたとは。
あのメッセージのとき、
お加減が悪かったのだろうか?
私はあのときKさんの体調を気遣うメッセージができていただろうか?

とても不思議なのですが、
メッセージの交換をしたはずなのに、
その記録がどこを探してもないのです。
Kさん、持って行っちゃったのかなあ?

もし、今このコロナ禍でなければ、
去年きっとお目にかかっていたと思います。
2月に関西旅していたとしたら、
ぜひお目にかかりたかったので、
もし行っていたら、少しだけ早く訃報に接することができたかなあ。

でも、過去の写真を見返してみて、
まあ、それもしょうがないなぁ、とも思いました。
とどさんと一緒に2週間ほとのキャンピングカーの旅にいったとき、
連絡し、3人でお食事したときの写真が出てきました。
この写真にも私は写っていないのですが
にこやかに笑うKさんととどさん、
そしてすてきなお料理の写真がありました。

持病はおありでしたが、
お元気で、健啖で、
たくさん食べて、たくさんおしゃべりして、
ご自宅までお送りしたのが最後にお目にかかった日でした。

残された奥様にすぐにお手紙を書かないと!と
はやる気持ちで便せんに向かったのですが、
いやいや、今はたくさんの方からの連絡で
てんやわんやだろう、と思い直しました。
もう少し時間が経ってから、
きれいなお花でもお送りし、
お悔やみのお手紙を添えたいと思います。


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