先日の記事
しりぬぐいゴルフ 驚きの展開!
にも書いたんですけど
とどさんとお出かけしても、
私の写真がない!
とどさんの写真はあるのに。

なぜなら、とどさんは私を撮らないから。

で、その投稿とか、インスタの写真を見た人から
「私も!」「うちも!」というコメント&メッセージ多数!!

私は父がとてもカメラ好きだったので、
幼い頃の写真は「これでもか!」「どうだ!」というほどある。
当時の子どもにしたら、
ものすごい数の写真があると思います。
父と母が離婚してからも、
定められた月に一度の面会では、
やはり「ここで撮らねば!」という熱意と共に、
たくさんの写真を撮ってくれました。
自分でもアルバムに整理し、
私にも焼き増しして(若い人はググってね!)くれた。

そこで、なんか「写真=愛💗」っていう思い込みが
定着しちゃったのかなあ。
今は、そこはイコールではない、というのがわかるけど、
父の死後、「父みたいに写真を撮ってくれる人がいない」というのが
「父ほど私を愛してくれる人がいない」と
=:イコールで結ばれちゃってたみたい。

結婚して、子どもが生まれて、
私も父と同じように「これでもか」と彼らの写真を撮って、
ものすごい数のアルバムに整理して、
「独立したら持たせるぞ!」って息巻いてた。
これこそ愛の表現だ!って。
ところが、彼らの思春期以降、
写真はまさかのデジタルデータに。
アルバムってもの自体が存在しない。
あの、ものすごく重たいやつ、いらない。
彼らの写真も高校~大学ぐらいまでで止まってる。

このブログシリーズで人気なのが、
アルバムの整理の記事です。←一応リンクしときました。
たぶん私くらいの年代の方たちが、
せっかく作ったアルバムを持たせようとして
子どもたちに「それは……いらない。適当に抜き出しておいて!」
みたいなこと言われて、
「知るか!」と思いつつ、
どうしよう?って検索してたどり着かれるのだと思います(^_^;)

それでも子どもたちと出かけたり、
頻繁にお友だちと会っていたときは
まだ自分の写真があったんだけど。
コロナ以降、基本とどさんと二人になって、
どこに行っても自分の写真がないことに、
慣れっこになりつつ、さみしかった。
「撮って」というのもイヤ。
向こうから「撮ってあげるよ」と言ってほしい気持ち。
ただのわがままか……orz

そして、写真を撮り慣れていないとどさんが撮った写真は、
「なんか違う」って思っちゃう。
頭が半分欠けてるとか、
逆光で顔が全く映ってないとか、
髪の毛が逆立ってるとか、
変なポーズしてるとか……
なんでこの写真撮ったの? 画面で確認できるのに、
なんで撮る前に言ってくれなかったの? というのばかり。
そう言うと、彼はますます委縮する。
撮りたがらなくなる。
なのに私はさらに「愛されてないなぁ(T_T)」って勘違いしちゃう。
イコールじゃないのに。

もう一回、ここでリセットして、
「撮って」って言い続けてみようかな?
とどさんもスマホ持ってるんだから、
「いいな!って思ったら撮って!」って言ってみようかな?
何十枚でも撮っていいのよ。いいのを一枚残せばいいのよ、って
ちゃんと説明して……

で、今思いだした。

たぶん逆の人もたくさんいるんだ。
私の友人には、夫の写真攻撃がウザイ、という人が何人もいた。
どこにいっても、ポーズ取らされて、
写真撮られる。
おいしいもの食べようと、口を開けてるのに、
ちょっと待って! こっち見て! って
待たされる。
逆もまた大変だそうです(笑)

これも、愛されていることとイコールじゃないってこともわかる。

皆さんはご自分の写真ってありますか?

かかし座のクラファンも引き続き行われています! 今日が最終日