人っていろんな思い込みをしています。
「学期末には通知表が来る」というのも、
思い込みのひとつ。
表裏一枚、実質4ページの紙に落とし込まれた
1学期(前期・後期)の評価。

これ、なくてもいいって知ってました?
作成するか、しないか、
家庭に渡すか、渡さないか、は
学校の裁量なんです。

そしてその形式も決まってないです。
同じ市内、区内でも、
違う場合がある。
なぜなら、その学校で最初に採用された形式が
ずつと受け継がれちゃって、変えようとしないから。
印刷された 校名校章が印刷されたものが、
大量に在庫されているから、変えにくいっていうこともある。
ぴったりなくなるってこともないから、
半分ぐらい足りなければ、同じ形式のものを
追加発注するし。

それでも、各校で工夫はあって
低学年は段階別の評価はしないで
「所見」(言葉で説明するところ)だけにするとか。
そもそも1年生は渡さないとか。
「所見」を無くしてしまった学校もあるようです。

そもそも今は「絶対評価」ですから、
クラスの中に5が〇人 3が〇人、といった
配分が決まっている相対評価とは違います。
これがまた難しい。

そして、公立ではほんとうにごくわずかだけれど、
通知表のない学校もある。
そして、その学校ではまた
「通知表を出さない」ということが受け継がれていく。

そのぐらい、学校って「変えにくい」場所なんですね。
「変える」ということにエネルギーがいる。

で、保護者は知らない部分だと思うのですが、
この通知表の作成が先生たちにはものすごい負担です。
一人ひとりについて、40人近くの分を
評価するだけでも気が遠くなる手間がかかります。

ここに
・同学年での調整(1組は1の評価の子がいないから誰かに1つけて!とか)
・上席のチェック(学年主任、副校長、校長とチェック 不適切な表現がないかどうか)
・学校全体でのバランス(〇年生だけ突出して5が多い、とか)

という、調整、チェックが入って、
入った部分は書き直して、
またチェックを受けて……

チェックをしているのは、
そのお子さんのことをあんまりよく知らない管理職で、
一派論としての言葉遣いとか、表現とか、
全体のバランスとか、そういうのをチェックされる。
しかも、全体のバランスとか言っても、
その学校の中だけなんです。
近隣校とバランスを取るようなことは基本的にしない。

一人ひとりの評価それぞれにこういうことが、
クラス→学年→学校 と何度もなされて
子どもたちや保護者の手に渡るとしたら、
その手間、本当にかけてほしいですか?


先生には、その手間と時間をかけて、
ほかにもっとしてほしいこと、ないですか?
一生残るものだから、記念だから、
兄姉にはあったのに、この子だけないのは
かわいそうだから……
いろんなお気持ちはあると思いますが、
このとてつもない手間から解放された先生が、
子どもたちのために、もしくは自分のためでもいい、
その時間を使って、
組み立ててくれる授業のほうが
一生大切なものとして残る、ということは
ないでしょうか?

もちろん保護者の側から「通知表は不要です」なんて
提案するのは難しいと思いますが、
もし「どうですか?」と問いかけられた時、
上記のような裏事情があることは
知っておいていただき、
それを踏まえて答えを出していただけたらなあと思います。

小学校時代の通知表、大切にとってあるというご家庭もあるでしょうが、
どこに行ったか分からない、という方も多いんじゃないですか?

かかし座のクラファンも引き続き行われています! 今日が最終日