30年前の私は、
母親になることがうれしくて、
出産が待ち遠しくて、
産声より私のうれし泣きの声の方が大きいくらい
大歓迎! で
息子をこの世に迎え入れたのでした。

でも、実際に生まれてみると現実は違った。
「生まれてすぐはほとんどの時間を寝て過ごします」
と、育児書には書いてあるけど、
そんなことなかった。

今振り返ると、
育児書の書き手がそういうふうに表現したい気持ちはわかる。
でも、新前ママの感覚はとてもとても……
すやすや寝てれば生きてるかどうか心配だし、
くすっとでも言えば「そろそろおっぱい? おむつ?」
と身構えるし、
その間に細切れに「しなくちゃならないこと」が挟まる。

今となっては、それも本当にしなくちゃいけなかったか
わかんないけど、
掃除とか洗濯とか、ご飯作りとか、
そういう日常の家事が
たった一人の赤ん坊の登場で、
10倍マシマシの負担感。
なんか手を抜いたらいけないみたいな、
この子に恥ずかしい! みたいな、
余計な義務感も背負って、
でも、「出産ハイ」が続いてるから、
正常な判断力もなくしてた。

そもそもぐうたらな人間なのに、
たった一人赤ん坊が生まれたからと言って、
完璧になんかなれるはずも、
できるはずもなかったのに……

小さな負担感が、重圧になり、
わが子を重たく感じるまでに
そんなに時間はかからなかった。

そこからは、
この状況をなんとかしたい!と思いながら、
悪あがきを続けてきた。
そして、もしかして同じように感じてしまう人が
次々にうまれてくるんじゃないかと、
それは阻止したい!と思うようになった。

ずっとずっと
ありのままの自分で、と思ってたのに、
親になったとたん、
「がんばれ私! やれるぞ私!」になってた。
そして、無理してた。

次に続く人たちに、同じ思いはさせたくない。
正しく、きちんとやることより、
子どものことをかわいいと思える気持ちとか、
疲れたらぐたーってしちゃうような自由とか、
子どもとぐたーってしながら一緒に空を眺める幸せとか、
そういうものを積み重ねていけばいいんだって。
そんなこと、伝えたいと思うようになり、
本を書き、講演をして、
子育ての相談にも乗ってきた。

でも、ある時、
自分の無力感で動けなくなっちゃった。
伝わらない、伝えきれない。
そして、一番つらかったのは、
伝えたい人に伝わらず、
あなたはもうそれで十分!という人を
追い込んでるいってる?と
思ったこと。

それで、しばらくお休みした。

今、改めて、
この歳になったからこその視点から、
お話できるんじゃないか、と。
去年からこっち、
若い方たちとかかわるようになって、
思うようになった。

どこまで伝えられるかわからないけど、
誰も追い込まない、
そして、1ミリだけでも楽になってもらえるような、
そんなお話をしたいと思います。

来週月曜日、11月1日から
お申し込みが始まります。