昨日の続きです。

私の中ではどんどんどんどんよみがえってくるものがあるので、
なんか記憶の海の中にずぶずぶに入っていくような感覚。
なんなら溺れそうになっちゃう感じ。あっぷあっぷ。
懐かしいような、怖いような、そんな気持ちでいっぱいになっていたとき
安倍さんのさんのお話が
「で、彼らは僕らが普通に生活している同じ町に存在してるんですよ」
というふうに展開していった。

ん? 何を言ってるの?
「そうですよ」と私は思った。

そんなの当たり前じゃないですか。
非行に走る子、
反社会的な行動をする子ばかりが集まっている場所があって、
そこで起きてること、って思うんですか?
そんなわけないじゃないですか。

安倍さんは続ける
「活動している時間帯が違うから、
出会わない、すれ違ってるんだけど、
同じ街で暮らしているんです」

それを聞いた参加されていた方たちの反応は
「驚きました」
「そうか、同じ街にいるのか」
「なんか別世界のことかと思ってた」って……

そうなんだ……

あの頃の私たちは、
無視されていたんじゃなくて、
「普通の」大人たちから見えてなかったんだ。

私たちは確かに、あそこにいたのに。
良くも悪くもあがいて、暴れて、
自分を傷つけて、
相手も傷つけて、
ずたずたになりながら、
未熟で、暴力的な自己主張をして、
仲間内の小さな共通点にすがるように群れて
街を闊歩しているつもりだったのに。

見えてなかったんだ。

今、この時代においてをや、そうであるなら、
当時なんかもっとだったんだろうなあ。

そして、ものすごく悲しくなってしまった。
ああ、見えてなかったんだ。
そうだったんだ。

だから、助けてもらえなかったんだ。
からんでもらえなかったんだ。

絡んだら面倒なことになるから、
怖くて触らないようにしていた
というのじゃない、
存在していなかったんだ。

そしてさらに、
みなさんの反応を見ながら、
たとえ見えていたとしても、
私たちの存在が大人たちによく知られていたとしても、
「普通の大人たち」にできることなんて、
なかったんだろうなぁ、
ということもわかりました。

今の私がそうであるように。

自分が住んでいる街の、
自分が活動する時間帯以外の時間帯に、
非行少年少女だけでなく、
さまざまな人が生きていること。

みんな知らない。

割と最近「知らないと想像もできない」っていう
投稿をしたんだけど、
それはアフガンとか、カンボジアとか、タイとか、
海外の悲惨な現状に対する想像力の話だった。

でも、こんな、自分の足元、
私がずっとテーマにしてきたことについて、
同じようなことが起きていたなんて。

「見えないことはないこと」「知らないことは存在しないこと」

安倍さんがああやって「見えていない人」に伝えてくださることは
ブルドーザーみたいに力強い。
普通はやらないから。
これはギリギリの挑戦だから。

見聞きしたこと、体験したことを詳しく語ろうとすればするほど、
子どもたちのプライバシーを守ることとのせめぎ合いになる。
また、当時の上司や同僚、関係者の方と、
いらぬ軋轢も生まれるだろうことは想像に難くない。

それを踏まえて、
本を書き、自分の言葉で語り、
「語り部」として、子どもたちの現実を
伝えようしてくださることに尊敬すら覚えました。

あ、ちょっとはまとまったかな。

着地点をどこにしようと考えながら書いてきたけど、
最後の最後に神降臨。安倍さんありがとう。

そして、この安倍さんのお話をまたまたじっくり伺える機会が、
9月25日のつみきフェスです
15:10~安倍さんのお話がじっくり聞けますよ。
このお話だけでも参加費を払う価値あると思います。

どの一つとっても、「子育て」「教育」に絶対必要なテーマです。

おお! 最後は絶妙な結びになった! ←自画自賛
みなさんご参加お待ちしています。