ウイグルのこと、
アフガンのこと、
そして、
タイのこと、
カンボジアのこと。
ちょっとだけ知ったから、
「今どうなっているか」に関心が持てます。
テレビやネットの画像、映像に、
そこに暮らしてる人を思います。

でも、何も知らなかったら、
遠い国の、自分に関係のない人の話。
一生会うこともないし、
たぶん行くこともない場所で起きていること。

想像力を持って、相手の気持ちをおもいやって、
って、簡単に言うけど、
知らなければ、想像もできない。

そもそも想像しようとすら思わない。

じゃあ、想像したからって何が変わるの?

という、自分に対する問いも生まれます。
ただ同情するだけ?
行動もできないのに、
想像して、何の意味があるの?
私の暮らしの何かが変わるの?

今すぐに何かが変わるわけじゃない。
そんなに簡単に変えられないと思います。

でも、知っているのと知らないのでは、
何かあった時、
その瞬間の判断が大きく変わってくると思うのです。
その「何か」とか「瞬間」がいつくるかわからないけれど。

例えば、雑談の中で、
話題に出たときの相槌一つ、
表情一つが
もう、すでに変わっています。

知っても何もできないから、意味がない、
というのではなく、
まず「知ることに意味がある」と言われるのは
そういうことなのかな、と考えているところです。