昨日の続きです。
千の輝く太陽 ①

最後まで一気に読んで、
体中ぐったり。
そのタイミングで
ネットニュースを見たら、
カブールの空港での爆破テロで、
父親になる日が目前だった
若い兵士の死を伝えていました。

強い心の痛みを感じるとともに、
この米軍兵士だけではなく、
空港に「たどり着けた」何十人もの人々に、
それぞれ家族も、生活も、過去もあり、
それが一瞬にして吹き飛んでしまったこと、
それも考えました。

もし今までだったら、
米軍兵士のほうにぐぐっと思い入れを持っていたでしょうが、
この本を読んだことによって、
カブールにたどりついた、
カブールで暮らすことを選んだ、
アフガンの人たちのことも思いました。
その人たちの人生のことも思いました。

それだけでも、この本を読んでよかったなぁと思います。

服装も違う、
人種も違う、
雰囲気も違う人たちが、
画面の向こうで右往左往していても、
それは他人事。別世界の話。
自分には関係ないと思っていたものが、
とても身近に感じるようになりました。

日曜日の夜8時、突然鳴り響いた
ボーン、ボーン、という音。
夏の終わりを告げる、花火でした。
広く告知されていたわけではなく
サプライズ花火でした。

私はこれを大砲の音と聞き違えてしまうくらい、
この小説の世界に入り込んでいました。
現実として、爆発、砲撃、銃撃と共にいる人が
この世界にいることも感じられるようになりました。

宗教、主義主張、歴史的な背景、
侵略する側、される側、
支配されてきた側、してきた側、
立場によって、見える世界は大きく違います。
攻撃する人、庶民の命を奪う人が悪、
その攻撃におびえる人が善、
反撃するのは致し方ない、
なんて単純なものではない。

この小説に登場している人たちのように、
銃弾が飛び交う中であっても
生活があった。
買い物して
ご飯作って、
掃除して、
洗濯して、
子育てして……
それは今も同じ。
政府軍が掌握していようが、
タリバンが掌握しようが、
生活は生活として営まれていく。

今もその中で暮らしている人がいる。
国外に出るなんてとんでもない、
この町で生きていくしかないという人がいる。

そして、視点を変えてみたら、
どこかの国の誰かは、
私たち日本人に対しても、
同じように思っているかもしれませんね。

なぜ勇気を出して国を出ないの?
なんであんな国で暮らしてるの?
日本のどこがいいの?

視点が変わる、ってそういうことですよね。

小説でも、アニメでも、映画でも、
自分に違う視点をもたらしてくれるものを
どれだか持っているかで、
価値観のバリエーションは広がるし、
世界が広がります。

広がった視点を持って、
あらためて、また足元を眺めて、
自分は何をするのか、何ができるのか、
考えていきたいです。