40代を「不惑」と言い、
40歳過ぎたらもう迷わなくなるんだ、と
誤解していた遠い昔。
まさか自分が還暦を迎えるなんて思いもしませんでした。

私の10代は恥ずかしいくらい無茶苦茶の無軌道で、
「もう明日死んでもいい」ぐらいに思ってた。
なんなら「明日事故で死ねたらかっこいい」
ぐらいに思ってた。
もう、今の私とは別人と思っていただいてもよいくらい(;’∀’)

でも、いろんなことがあり、
まさかの自分の子どもが授かるという奇跡が起き、
この子たちのためには死ねない! なんて
いっちょ前の大人みたいなことを思うようになりました。

ノストラダムスの大予言も当たらなかったし。

でも、親になったら迷いはさらに深まる。
さすがに(そんなに)無茶はしなくなったけれど、
なんとなく生きづらい、苦しい感じはずっと自分の中にあります。
ただ、この苦しさは、ほんの少しずつ、少しずつ、
脱皮を繰り返すようにはがれてきたので、
今はずいぶん楽になりました。
50代以降は今までよりずっと人生を楽しめている気がします。

それでも年に何回かは、
このまま消えちゃいたいよ~!って
じたばたすることがあるし、
同じように何回かは、
「わたしなんか……」と落ち込んで
ずずん、と沈み込むこともある。

そんな繰り返しの中でここまで来たんです。
そして、私の周りの偉そうな人たちも、
とても穏やかで感情の起伏などないように見える人も、
多かれ少なかれそうなんだ、ということも
わかってきました。

感情の揺れ幅が少なく、
どっしりと動じない人に対するあこがれは
少なからずあります。
また、活躍している人に
ちょっと嫉妬しちゃうこともある。

ただ、私から見えているものって、
文字通り氷山の一角でしかない。
ということも理解できるようになってきました。
水面に出ているものが立派だったり、
目を引くものだったりすればするほど、
水面下のプレッシャーってすごいんだと思います。

Youtubeで強く思いを打ち出す人、
生きる意味や価値について語る人、
ビジネスで大成功した人、
あこがれのFIREを実現した人、
その声を聴きたい気持ちはある。
その秘訣があるなら知りたいという気持ちもある。

それも氷山の一角なんだろうなぁとわかりながら。
そして、なにかあれば一スポットライトが当たる場所から
一瞬で叩き落されるという現実も知っています。
「あの人が」という人が心を病むことも珍しくない。
そして、成功者として脚光を浴びた人の末路が、
必ずしも幸せではない。

それにもかかわらず、
自分が迷っているときは、
迷いがなく見える人や物に強く惹かれます。

昨日投稿した、ヒーローを待ち望む気持ちとも
共通するんじゃないかな?

これ! という人や物に
傾倒するのも、心酔するのもあり。
それで自分の人生の彩りが豊かになるなら、
そこに自分の迷いをゆだねてしまうのもありです。

ただ、もし「これは違うかな?」と思ったら、
パッと手放す勇気も持っていたいなぁと
今この歳だからこそ思います。
苦しいから、辛いから、
手放せない執着も致し方なし、ですが、
「あれ? 違う!」と感じたら、
思い切ってパッと手放してみたら、
また違う価値観や彩り出会えたかもなぁ、と
思うからです。