昨日の投稿で、
改めて自分がどんなに人が恋しかったかわかった
ということを書きました。
この2年、ほとんどオフラインで人とじっくり話していない。
それだけじゃなく、
不要不急 と言われるようなことは、
極力避けようとしてきました。

私たちは70歳と60歳の夫婦。
自分たちの身勝手な行動が、
医療を圧迫して、
それが巡り巡ってどなたか「これから」という世代の
若い方に負担をかけてはいけない。
ワクチンについて、思うところがないわけではありませんが、
ただ一点、「万一の時、医療を圧迫するおそれが減る」
というだけで、いち早く受けました。

たくさんの情報の中で、私たちなりに考えて、
取捨選択して、
ギリギリ我慢できる範囲で頑張ってきたつもりです。

でも、政府のやることに「ちぐはぐ」感が強すぎる。
オリパラはやる。子どもたちにも見せてやりたい。
それも10万人を超える子どもたちを移動させる。
PCRをやったところで、
一定の擬陽性もスクリーニングされることや、
その逆もありうることを考えれば、
これは対策でも得策でもないと考えます。
たった一回の観戦のためにかけるコストではないと思うんです。
他に人をかけ、お金をかけないといけない場所があるはず。

今、子どもたちに爆発的に感染が広がっていて、
その子たちが家庭に持ち込み、
ワクチンを受けた高齢者は重症化をまぬかれても、
両親にあたる中年層が重症化している。
基礎疾患があれば、命にかかわる、
それでも入院はできない、
ということがわかっているのに。

学校は今月いっぱい休校とする、という自治体も出てきました。
あと一週間で、どれだけ劇的に事態が変わるとのいうのでしょうか?
時短を決めたところもあるようですが、
1-2時間短縮はするけれど、
給食は食べさせます、と。
それで助かるご家庭・子どもたちがあるのは重々承知しながら、
感染対策を眼目にするなら、黙食だろうがなんだろうが、
会食が一番リスクが高いのでは?

秋~来年にかけての受験をどうするか、ということまで見据えた、
長期のビジョンを持って、対策を考えないと、
「とりあえずやりました」にならないか。

何のために前倒しで一人一台の端末を持たせることにしたのか。
去年一斉オンラインに切り替えられなかったのは、
端末がない、というのも大きな理由だったのでは?

自宅の回線整備がおいつかない子は、
WIFIが整備されている、考えうる限りの公共施設を使って、
距離をとって、オンライン授業を受けてもいいんじゃないのか?

なんとなくみんなが「変だなぁ」と感じている中、
「これでいいの?」と疑っている中、
いろんな意見が交錯する中で、
ヒーローを待ち望む気持ちも強くなります。

学校はこうする、
公共施設はこうする、
交通機関はこうする、
ワクチンはこんな風に接種していく、
感染した人には症状別にこう対処する。
特効薬の開発にがっつり予算を割く。

バチッとした方針を打ち出して、
賛否はあるだろうけど、何かあったら自分が責任をとる!と
強く主張し、引っ張っていけるリーダーがいたら、どんなにいいだろう?

でも、それはそれで怖いなぁ、とも思います。
待ち望んでいたヒーローが熱狂的に受け入れられて、
そのヒーローが、外交で強気の政策を打ち出し、
武力衝突やむなし、となっても、
庶民はそれに喜んで従うんじゃないか。
弱者の中の弱者はこの際ごめんなさい。あきらめてください、と
切り捨て政策を打ち出したとしても、
それもやむなし、と認めてしまう空気が生まれるのは怖い。

まあ、今の情勢を見ていたら、そんなことはあり得ないのでしょうが、
ここで一度、歴史に学ぶ姿勢もも大事にしたいなぁと思うところです。