昨日の投稿 学んだことの証は 7 からだまるごとの学び で
学んで、一度不幸にならないと、
次のステージにはいけないのか、
ということを書きました。

今の時点で、そのことについての考えを
書いておきます。
それは、人間を相手に仕事をする人は、
ぜひ、このつらいけど、実りのあるプロセスを
通っていただきたいという願いです。

たまたまこのタイミングで、
不登校の受け持ち児童の家を訪問し、
その子を抱えて、
強引に学校に連れていった先生のことが
報道されていました。

私はそのお子さんのことも、先生のことも知らない。
だから、今の報道を見ただけで、
いい、悪いを言える立場にはありません。
それは、ニュースで知った皆さんも同じこと。
ここは大事なところ。

で、事実とは切り離したところで
このニュースからたくましく空想したお話しを。

この先生は、きっとマジメで、熱心で、
学校に来ないその子のことをどうにかしたいという
「熱」は持っていたんじゃないか。

それが「熱暴走」しちゃったんじゃないか。
ということです。

今までご相談を受けた中でも、
こういう「熱サポーター」のお話は、
実はすごくやっかいでした。

困りごとにあったときに、
熱心に宗教の勧誘をしてくる人とか、
どこどこのサプリメントが劇的に効くとか、
からだ丸ごと好意と善意で一杯になった相手が
笑顔でぐいぐいくるのって、
単に「ありがた迷惑」のレベルを超えて
恐怖 になっちゃうことがある。

そもそもが
「藁をも掴む思い」で頼った相手だったらなおのこと。
不登校の子どもの担任の先生とか。
思い切って相談したとき、
相手が「熱」を持った人の場合。

相手は相談されたことを意気に感じて、
「何かしてあげなくちゃ」と思う。
いい人だと思ったから頼ったわけだし。
いい人だから、きっとそう思う。

そしてぐいぐい来ちゃう。
いや、待って、そこまでは、まだ・・・・・・

相談した側にしてみたら、
相手はそこまでしてくれるのに、
応えられない自分とか、自分たちとか、
そういうものについて、
罪悪感まで生まれちゃう。

これは本末転倒です。

で、サポートする側のはずなのに、
思い通りに動かない相手に焦りを感じて、
強権発動しちゃうと、
相手はずたずたに傷つきます。
救いようがないくらい。

善意は全てにおいて善である
ということはないです。
これはある程度は理屈でわかっていることだと思います。
でも、それをからだ丸ごとで理解していることが、
人を相手にする仕事をする場合には、
とても大切な要素になると思うのです。

相手は自分とは違う人格だ、と
痛いほど思い知っておくこと。
自分自身すら、自分でコントロールできる存在ではない
と、思い知っておくということ。

「これまでの人生は幸せだった!」という場合も、
「これまでの人生は不幸続きだった・・・」という場合も、
だからこそ、それが動機で、
人と関わる仕事を選ぶのなら、
一度世界との親和性を断ち切って、
もう一度親和性を取り戻す、
という実体験が、とても大切だと考えるのです。

これは書物で学ぶ事でも、
ワークショップなどを通じて学ぶ事でも、
実現可能です。
これに関わる手法は、
それこそ星の数ほどある。

私の場合は、たまたま竹内敏晴という、
よく分かんないけど、
「場」を支える神がかり的な力を持った達人との
出会いでした。
でも竹内さんはもうこの世にはいない。

ただ、うっすら求めてさえいれば、
出会うべき時、しかるべきタイミングで、
ちゃんと出会えるモノだというのも、
経験上確信しています。

機会は多い方がいいので、
人に関わる仕事に就く人を、
養成する機関や、
就職してから研修を行なう際に、
この「一度不幸になっても、大切な学びを得る」という機会を
是非とも組み込んでほしいと願うのです。

それが、あのときの竹内さんの年を越えてしまった、
私の今の時点でのお返事になるのかなぁ。
竹内さんも、そう思っていたから、
教育大学という
本来の仕事場ではない場所での
レッスンを引き受けたのではないかなぁ。