子育てをひらいていこうという投稿をしました

でも、できないっていう人は少なくない、
ということも理解しています。
だって、うかつに自分をひらくと、
嫌なことも入り込んできますからね。

今日はそのことを書こうと思いますが、
過去に嫌な思いをした人は、
ちょっとシンドイ気持ちになるかもしれないので、
その時は明日の投稿とセットになってからお読みくださいませ。

さて、本題
私は今、
基本的に人を信じていく方向でお付き合いをしています。
この人すてき!と思ったら、
いろいろ考えないでアプローチしていく。
逆にアプローチして頂いたら、
よほどのことがないかぎり受け入れる。

でも、ずっと前からそうだったわけではなく、
紆余曲折 というのはもちろんありました。

なんらかの共通点があり、
親しい気持ちになり、
ぐっと距離が縮まって、
この人といると居心地がいいなぁと思い始めた頃、
「ある出来事」がきっかけで、
傷ついて苦しくなったり、
すごく悲しくなったり、
怒りがわいてきたり、
ということを何度も経験しました。

それは
宗教の勧誘
ネットワークビジネスの勧誘
スピリチュアルセミナーの勧誘 などなど

「ははん」とお分かりになる方
多いと思います。

これらに共通しているのは、
相手が「いいと信じて疑わない」ということ。

この前の投稿にも書きましたが
「絶対的に正しい」と思うものを持っている人は強いです。
揺らがない。ぶれない。

少し開いた心のドアをこじ開けるように
「正しさ」がぐいぐい入り込んでくるのは
受ける側からしたら、本当にしんどいことですね。

しかも、相手は「あなた幸せになる」と
思い込んでいる。だから躊躇もない。

向こうは完全装備、
こちらは心をノーガードで開きかけている状態。
そりゃ傷つきます。当たり前。

私の親しみや、
心を通じ合える人に出会えたかも?という喜びが
裏切られたような気がする。

そして、その戸惑いや苦しさは
残念ながら相手には伝わらない。

「みんなそうなのよ」
「成長のための痛みよ」
「これを乗り越えたら幸せになれるのよ」
「私もそうだったからわかるわ」

・・・・・・もはや関係が成立してない。

相手はこちらが何を言うか、
どう出るか、
完全に予測していて、
「わたし」ではなく、
「シュミレーション済みの相手」と
対峙してるんですから、
さらにこちらはツライ。

完全に「人」ではなく、
「パターン」として扱われているから。

でも、もしかして、
そのパターンにはまったら、
私は幸せになれるかも?

そう思わせたら成功。
思うつぼ。

逆にそこに入り込んで行けないことに対して
罪悪感を抱かせられたり、
コンプレックスを抱かせられたり、
孤独感を味わわせられたり……

もう、いろいろとしんどいから
「仲間に入る!」って
言ったほうが楽になれる、と思わされる。

子どもが幼稚園で初めてできたお友だち。
ママも穏やかで優しそう。
ある日おうちに招かれて、
おやつを持っていそいそ出かけたら、
「映画見ません?」と言われて、
延々と宗教団体の宣伝映画を見せられたこと。

「お料理教室があるから来ない?」と
ご近所のママに誘われて、
子どもを連れて出かけたら、
特別なお鍋(1個数万円)を売る会で、
「買います」と言うまで、
そのおうちから出られないような状況に追い込まれたこと。

すぐに席を立って出ることもできず、
どうしよう、どうしよう、
どうやってこの局面をのりきろう、
早く帰りたい~!と
思った経験は一度や二度ではありません。

全国規模の子育てサークルを作って、
急成長したときには、
マルチに限りなく近いネットワークビジネスに
団体そのものを乗っ取られそうになり、
火消しに疲れ果てたこともありました

それで、人とのお付き合いが怖くなって
家から出ない、
お誘いにも乗らない、
という決意をしたこともあるくらい。

実際そういうふうに人付き合いを考えている人は
少なくないと感じています。

「余計なことに巻き込まれたくない」

わっかる~!

ただ、私はそこに止まっていることができませんでした。
閉じて、自分を守って、閉じこもっていること
耐えられなかった、ともいえると思います。

じゃあどうしたの? ということを明日書こうと思います。