このところ、教育関係のウェブセミナーやイベントにいくつか出ています。
そこでよく話題になるのが、
「失敗から学ぶ」「失敗した分だけ経験が積み上がる」
「失敗は恥ずかしいことじゃない」
「失敗した数はチャレンジした数」
などという「失敗」に対するポジティブな言葉の数々。

正解に向かって最短距離で一直線!
無駄な努力は極力省こう!
ではなくて、
どこからでも、自分のペースでゴールに向かって進んで行くって感じ。

そもそもゴールがどこか? っていうところも問題。
がんばって、がんばって、やっと「たどりついた!」と思ったら、
ゴールが違う場所に移動してることだってある。

テストで〇点!
クラスで〇位!
受験で合格!
試合で勝つ!
〇〇大会で優勝する! は
は、そもそもゴールなの? ってところ。

教員をはじめとする、
教育に携わる皆さんが、
そういう疑問を共有したり、
「失敗してもいいよね?」と
言い合える雰囲気が出てきたのは、
大歓迎!

でも、でも、じゃあ大人は?

「子どもが安心して失敗できる教育を『失敗しないでやりたい』」っていう
よくわかんないパラドクスに入ってない?

思わずチャット欄で「先生も失敗してもいいんだよね?」って入れちゃった。
受け取ってくれた人、いるかな? いたらいいな?

先生が失敗すること→子どもが被害者になること
という思い込みはないだろうか?

子どもたちをなめてはいけない。
先生の勇気あるチャレンジは、
ちゃんと子どもたちに伝わる。
「何かが始まりそうな予感」は
絶対に伝わる。

うまく行かなかったら、「ごめん」って言って、
またチャレンジしてみればいい。
「失敗の数はチャレンジの数」なんだから。
子どもたちはそこからも学ぶから。

ここがみんなで認め合えなかったら、
そもそも子育てなんかできない。
どうやったら楽にオムツが外れる?
どうやったら楽に離乳できる?←今は卒乳 らしいけど
って考えて、
そもそもこれって子どものため? 私が楽になりたいから?
って考えて、
あ、そうか、私が楽になりたいだけなんだ、って気づいて。
子どものためってどういうこと?って考えて、
やってみて、 ちがうなぁって思って。

これが子育てだって、今私は考えている。

「正解」を誰かに言われてもわからない。
そもそも「正解はこれ!」っていう人はアヤシイ。
一つひとつ失敗しながら確かめたから、
自分のものになり、子どもと共有できる。
子どもはそうやって悩みながら、迷いながら、
自分と向き合おうとしてくれている人に
信頼を寄せてくれる。

で、じゃあ私は? というところ。
初めての書店営業にチャレンジして、
なんだかあっけなくて拍子抜けした。

ああ、私も失敗は嫌なんだ。
「何の御用ですかっ? 今忙しいんですよっ!」って
門前払いされるのは嫌だなあって、
チャレンジできなかったんだ。
「出版社の営業さんが回ってくれるから、
邪魔しちゃダメなんだ」って、
言い訳してたんだ。

でも、違うよね。言ってることとやってること。
門前払いされたら、「次はどうしよう?」って考えて
工夫して、違う方法を考えればいいんだ。

そうか、私だって、
失敗は嫌なことだって思い込みがあるんだ。

でも、教育は子どもたちに
「失敗はチャレンジだ」って伝えることができる。
子育ても、「お母さん(もちろんお父さんもじじばばも)を見てごらん、失敗は怖くない!」って
伝えることができるんだ。

私は今年で60歳、還暦。

では、伝えようじゃないか。
還暦でもチャレンジできる。
還暦で失敗しても、怖くない!って。
↑けっこう今日は前のめりだ(笑)

インスタもやってます
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