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コーラスや、ダンスなど実技が「できない」「苦手」
という子たちに対して、
「できないなら無理しなくていいよ」というのは、
やさしさじゃないんじゃない?ということを書きました。

「無理しなくてもいいよ」というのは、
パッと見で完成度が高いと感じてもらえる
わかりやすいパフォーマンスを見せたいから?

先生同士でも
「●●先生のクラスは本当に静かできちんとしてる」とか
「●●先生のクラスは平均よりずっと成績がいい」とか
そういう話題になることは当然あると思います。

小学校では、ほぼ一日一緒にいるわけだから、
受け持ちのクラスがほめられたらうれしい。
その気持ちはとてもよくわかる。

これ、子育てでも同じだと思います。

「●●さんちのお子さんはいい子」
って言ってもらえたらうれしい。

逆に「●●先生のクラスは荒れてて手が付けられない」とか
「●●さんちのお子さんはみんなだらしない」とか
言われたらいやだ。

自分の力量が足りていないと指摘されているような気がする。
みじめな気持ちになる。

今自分が頑張っている
「教育」という土俵で
「子育て」という土俵で、
「頑張ってますね」「よくやってますね」と言われたいし
できたら「すごいですね」とか言われたい。

だから頑張る。

その気持ちは本当によくわかる。
わたしだってそうだった。
そして自分はちっとも楽しくなかった。

そして、ここが大事なことなんだけど
子どもたちが先生の、親の、成績表になるとしたら
それは子どもたちにとって、大迷惑だと思います。

教育も、子育ても、
求められるのは「結果」じゃない。
毎日毎日の積み重ね、
楽しんで取り組むことや
夢中になってやること
ちょっと苦手なことにも挑戦すること
挑戦して結果がでなくても、
たゆまず努力することを選んだり、
代わりにできることを考えたり、
どうしたら自分が楽しいか、
幸せでいられるかを考えていくこと
それが「生きる力」だし、
その地盤がしっかりしているから
そこから生まれるものが輝く、
ということってあるでしょう?

最初に完成図があって、
それにたどり着けば〇、たどり着けなかったら×、
という考え方は、みんなを息苦しくするのではないかな。

何より、指導する先生自身が辛くないのかな

すごいなあ、一つひとつ楽しめるように工夫してきたら、
一年たったらこんなことができるようになった、
あ、チャレンジするって楽しいんだな、
だめだと思ったけど、けっこう自分ってやるじゃん?

そういう実感が、一人ひとりの中にしっかりあってこその
学びであり、教育なんじゃないのかなぁ。

先生も 親も そこ勘違いしちゃいけないよね。

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