記事更新のためにあれこれ情報収集をしていると
ネットの方でも「これに興味あるでしょ?」と
ぐいぐいすすめてきます(~_~;)
その中の記事の一つ。

多忙で孤立「壊れる教員たち」の過酷すぎる現実(東洋経済オンライン)

こういう記事って、
よく読んでみたら、当事者の話を聞いていない、
専門家にも裏取りをしていない、
なんとなく「そうなんだろうなあ」という内容を
センセーショナルに書いている割に、
中身がなかったり、「え?」と思うことも多いです。
これは当事者のお話が出ているのと、
専門家の話を聞いているので引用しています。

で、昨日も書きましたが、
教育とか学校とかということを考える時に、
そこにいる人が健全なの?という点に
いつも引っかかります。

またいずれ詳しく書きますが、
私自身のことで言うと、
中学生の頃の担任は明らかなアルコール依存症でした。
この教師は私の人生をいろんな意味で全く違うものにした、
すごい破壊力がありました。

そして、中学二年生の私が、
自分と母を守るために
一大決心をして打ち明け、助けを求めた
「信頼できる先生」は
管理職と一緒にすぐに家庭訪問してくれましたが、
出た結論は「被害に遭っているのはお宅だけなので、
転校を考えてくれ」というものでした。

そして、転校した先で待っていたのは、
ものすごくエキセントリックな担任。
この教師にだめ押しをされて、
私は大人になる楽しみとか、希望とか、
そういうものをすっかり失ってしまいました。

今でも、
当時クラスの副委員長として、
提出物を忘れたという罰を代表して受けた日のこと、
忘れられません。
教卓に手をつくように言われ、
クラス全員が見ている前で、
何十回も出席簿で叩かれ続けました。

私は「自分は悪くない」と信じていましたし、
その「悪くない」と思う個人的な事情を
皆の前で話したくはなくて、
ただひたすら、叩かれるまま、
「一回、二回・・・・・・十一、十二・・・・・・」と
数を数えることに集中し「無」になろうとしていました。

「ごめんなさい」
「反省しています」
「私が悪かったです」の
どれか一つが言えたら、
その体罰は止まるのだということは
わかっていましたが、
それは絶対に言いたくなかった。
強情だったのです。
逆の立場だったら、
「かわいくない」と感じるような生徒だったでしょう。

結局、バシンバシンという体罰は、
放課後まで続き、
ここからは本当に記憶が曖昧なのですが、
隣のクラスの友人が「もうやめてください」と
飛び込んで来てくれて、終わったのではなかったかと思います。

今考えても、これはどちらもすごい事だと思うのですが、
学校は変わらなかった。
これほどのことがあったと知っても、
他の教師からは「なんか大変やったらしいやん」と
ニヤニヤと笑いながら言われたぐらい。
ほとんどの先生たちは見て見ぬふり。
その教師に対して処罰が下るとか、
何らかの形で私の「尊厳」を守ってくれるとか、
そのためのフォローをしてくれるとか、
そういうことは一切なかったです。

正確に言うと
遠巻きに心配してくれている先生の空気とか、
息づかいとかはチラリホラリ感じることがありましたが、
それが直接私へのメッセージとして伝わることはなかったのです。

で、冒頭の記事。

あのとき新卒だった先生は、
今もう定年を過ぎていると思いますが、
二十歳そこそこで、あんなもの見せられたら、
そりゃ辞めるな、と私は思います。

普通の精神力ならやっていけない。

学校の主役は児童生徒ではないのですか?と
私が繰り返し、繰り返し、伝えているのは、
こういうことを経験したからです。

学校という場所で、
そこにいる大人が、
本気で「主役である子どもたち」を守る覚悟がないなら、
そこは子どもたちにとって、
まったく安全な場所とは言えないです。

そもそもそんな場所を職場とする大人が
幸せなわけないです。

この国の未来のことを考えるなら、
先生一人ひとりが幸せにならなくちゃ。
幸せになる努力をし続けなくちゃ。
臭いものにかぶせていた蓋を
ちょっとずらしてみる、
思いきって外してみる、
ということもしてみなくちゃ。

何も変わらないし、
鋼の感受性を持っているか、
ものすごく鈍感な人しか、
生き残れないサバイバルレースの場になっちゃいます。

インスタもやってます