繰り返しになるけど、アンコール・ワットにはずっと行ってみたかった。
でも、知らないところだから、怖さとか、めんどくささが先に立った。
何にも知らないから、
過酷な宿泊施設での生活とか、
シャワーのない毎日とか、
街の危険性とか、
そんなことばっかり考えてた。
でも、実際行ってみたら、得るものが多くて、驚いた。
街は清潔で、快適で、思っていたよりずっと安全。
案ずるより産むがやすしきよし?
宿泊施設も含め、居心地のよさはすばらしかった。
そして、内面での変化が大きかった。
いくら考えて、シミュレーションしても、
たった一度の経験には勝てない。
あの場所に立ったこと。
空気を、風を、感じたこと。
空を見たこと。
大地を踏んだこと。
ひたすら歩いたこと。
黙々と上った先に見えたもの。
こみ上げてきた涙、止まらなかった涙。
そして、それらによって自分の中に起きた変化。
小さなさざ波が立ったところに、
今回のコロナ禍で、
それが増幅されて、
一気に大波になりそうな予感。
私の人生なんてちっぽけで、
でも、それなりにがんばってきたし、
運にも恵まれて、
結婚もした、子どもも授かった、
孫もどきたちにも、孫にも恵まれた。
小さな山はいくつもあったけど、
今ここにきて、
もういいかな?と思っていたのも事実。
仕上げに入って、
あたらしいことは始められない。
始めない方がいい。
断捨離、終活、エンディングノート。
人生の後始末をちゃんとしないと・・・・・・なんて。
でも、置かれた場所で、
まだできることがあるかもしれない。
コロナの次にくる新しい時代に、
アラカン世代でも、
未来につながる何かができるかもしれない。
そんなことも考えるようになった。
ZOOMの経験。
そして、このツールの使い方を同世代の人に伝えること。
ちょっとずつ、進んでいこうかと思っているところ。
そして、どんなにバーチャルが発達しても、
そこに立つことにはかなわない。
またパスポートとエアチケットを握りしめて、
どこかに行けるようになったら、
言い訳せず、行ってみようと思う。