実質的に終日観光ができる最終日。
2月29日には、無難路線ではなく、
チャレンジを選びました。
行き先は

プレアヴィヒア

これもつい、プレアヒヴィアと言ってしまう。

ここはちと複雑な歴史を持つ世界遺産。
別名「天空の寺院」と呼ばれ、
「アジアのマチュピチュ」とも言われています。
山の少ないカンボジアでも、比較的高い650メートルの山、
その山頂に寺院が建立されているのです。

この山のてっぺんが プレアヴィヒア 遺跡

9世紀に建設したのはクメール人。
でも、クメール王国は内陸で
四方八方から攻め込まれ放題。
どこに行くのにも通り道になる位置関係から、
常に戦争状態にあり、侵略されてきた歴史を持ちます。

この プレアヴィヒア はタイとの国境にあり、
長く両国で領有権争いが続いていました。
1962年に国際法上でカンボジア領と認められて
しばらくはカンボジア領ということで落ち着いていたのですが
2008年に世界遺産に登録されたところからまたキナ臭くなる。
世界遺産がほしいタイと、交戦状態に入ります。

2012年にタイの政権が交代したことで、
表向きの戦いはなくなりましたし、
遺跡周辺には観光客がたくさんいるので、
ここで銃撃戦ということはまずないそうですが、
遺跡を離れた国境線では、
今でも銃が放たれることは珍しくないとのこと。

銃眼の開いた土塁。中には当番の兵士がいて、
タイ側に向けてライフルを構えています。

つまり、ようやく観光客が行けるようになった世界遺産であり、
タイ側からは一切の侵入が不許可なので、
カンボジア側から見に行くしかないのです。

参道からタイ国境側を見る。
真下まで車道が通っていますが、閉鎖されています。

でも、行ってみるとわかりますが、
タイ側からは参道の真下まできれいな道が整備されています。
ところが、カンボジア側はひたすら山を登るしかない。
ここに行くにはかなりの健脚じゃないとムリだった。
まさに登山でした。

でも、今は一番近い都市であるシェムリアップから舗装道路ができ、
さらに山頂までも4WDなら上がれる観光道路が整備されました。
だから、ほとんど歩かずに行ける!

といっても、車で片道4時間かかります。
往復8時間かけて行く価値があるのかどうか。
私たちは ある と判断しました。
そしてそれは間違ってなかった。

この日のガイドはポーさん。
40代で、小学生のお子さんがいるパパです。
日本語のほか、イタリア語、英語も話せて、
普段はイタリアの貿易会社に勤務し、
依頼があったらガイドをする、という感じらしい。

そして、軸足がイタリアに向いているので、
ちょっと日本語がスムースに出てこない。
聴き取りにくいところがありました。
あと、往復の車では爆睡してた(笑)

そしてなんと!
このポーさん、
ベンメリアに行ったときに乗せてくれた
ドライバー、コサールさんの甥ごさんだって!
コサールさんも、なんだかリラックスムードでした。

コサールさん

早朝にホテルを出発し、
ひたすら北に走ります。

朝日がまぶしい


なーんにもないところをしばらく走ると、
小さな集落があらわれ、
小さな商店があり、
またしばらくなーんにもないところを走る、
という繰り返し。

ちょっとした街
街の大きな交差点は必ずこんなロータリー ランダバウト?
結婚シーズンなので、式に向かう行列

カンボジアでは花嫁行列じゃなくて、御婿さんがお嫁さんのうちに入るそうです。だから花婿を先頭にした行列。花婿行列? 先頭は見えずでした。

沿道の民家。これはすごくいいお屋敷。左の小さな建物がトイレ 

民家は害獣対策、洪水対策でほとんどが高床。
毒蛇もいるから、とポーさんは言ったけど、
毒蛇はこの柱を上れると思うんだよね。うん。

昔は梯子がかかっていて、
寝るときには引き上げて寝ていたらしいです。
今は常設の階段がある。
もう虎は(そんなには)出て来ないらしい。

長いドライブでお手洗いに行きたくなって、
ポーさんに言ったら、このお宅に交渉してくれた。
快く貸してくれてホッとしました。
外で、もアリと覚悟してたので(^^ゞ
おうちとはべつにトイレがあって、
水洗でとてもキレイでした。
お礼を少しだけ払いました。
あと、もう一回、ガソリンスタンドでも借りました。
ここの人は少しお支払いしようとしたら固辞された。

道の駅みたいなところはないけど、
ガイドさんはトイレポイントをいくつか把握しているみたい。
早めに言わないと次の街までかなりかかります。
最悪は↓のようなところで。男性はどこでもできる。

まだメインは焼き畑農業。あちこちで煙が出ています。

この時期は乾期でとても気持ちがいいのですが、
焼き畑のせいで空気は全然キレイじゃないです。
遠くがかすんでいます。

焼き畑はそのときはいいんだけど、
どんどん土質が悪くなるそうで、
「このやり方では作物が育たないよ」ということを
伝える教育が必要だ、という話でした。

まあ、Aの場所でとれなくなっても、
Bに移せばいいか、というくらい土地はある。
そして、昔の日本のように、
大地主さんがいて、小作さんが作業する、
という感じになっているとのこと。
地主さんは都会で大きなお屋敷に住んでいたりするそうです。
カンボジアは社会主義的、という風に言われていますが、
一人ひとりが土地を持って、というわけではないようです。

なかなか本題に到達しませんが、
なんせ片道四時間ですから。
もう少しで遺跡に到着です。

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