12年ぶりの「荒ぶる」について、
いくつかエントリをしました。

そして、とても大切な方のことを思い出しました。
老松さん。もちろん、ニックネームです。

私が知り合うずっとずっと前から、
公式戦だけではなく、
ラグビー部の選手たちの練習中の様子、
練習試合の様子、
写真に撮って、本人や家族にお渡しくださっていました。

老松さんのお宅には、
部員全員、一人ひとりの名前をつけた透明のポケットがあり、
そこに紙焼きにした写真を仕分けしておられると、
そんなことも聞きました。

私たちのように、比較的に気軽にグラウンドに
行ける者にとっても宝物となる、
子どもたちの記録。
気軽に見に行けない、
地方にお住まいの親御さんたちにとって、
わが子の様子をしるよすがとなる写真は、
本当に本当にありがたかったと思います。

息子たちが荒ぶるをとったあと、
ほどなくして病に倒れられ、
長く療養されていたことは知っていましたが、
日々のあれこれに流され、
ご無沙汰を重ねていたのです。

荒ぶるについて、書いていく中で、
不義理に言い訳をしたくなったのと、
12年ぶりの荒ぶるはご覧になれただろうか?と
お伺いもしたくて、
息子たち同期の写真に近況も添え、
お手紙をお送りしたのが先月の下旬の事。

お返事があるかしら?
いや、お加減よくないかしら?と
心にひっかかりがありつつ、
10日ほどたったところで、
共通のお知り合いから
お知らせが届きました。

お亡くなりになった、と。

お悔やみの日もお知らせくださったのですが、
私はどうしても仕事が休めず、
とどさんだけに行ってもらいました。
私が想像していたとおり、
お身内だけで、静かにお送りしたい、
というご意向だったようです。

でも、とてもあたたかく、
心がこもっていて、
すてきなお別れになったとのこと。

とどさんから、
お孫さんが号泣されていたと聞き、
さもありなん、と思い、
そして、うらやましくも思い、
老松さんらしいなぁ、とも思いました。

ご家族は、もう現役を退いて久しい老松さんのおくやみが、
大きく広がることを望んでおられないのではないか、と
私が勝手に思いましたので、
私の周りの方にもあえてお知らせいたしませんでした。
「教えて欲しかった」とおっしゃる方が、
ものすごくたくさんおいでになることは承知ですが、
どうぞお許しくださいませ。

どうぞ、みなさんのご家族と、身近な方と、
老松さんの思い出を語り、
そして、撮ってくださった
たくさん、たくさんの写真を
もう一度ご覧くださいませ。

それが一番のご供養になるように思います。

懐かしい写真。スタンドの様子もよく撮ってくださっていました。
亡き母も写っています。