アルバムの整理① 思い切って処分
アルバムの整理② あれあれ? 方針転換
アルバムの整理③ 大きすぎてスキャンできない
アルバムの整理④ スキャンの仕方
アルバムの整理⑤ 整理しないものも

ときて、今日が最終回です。

スキャンして、積み上げられていくアルバム。
その中の写真たち。

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まだスキャンは完了していないのですが、
あと数冊を残すのみとなりました。

さて、私はこれらを捨てられるのか?(~_~;)
まあ、捨てます。はい。そのためにやったことだから。

実は、ここまできて、
アルバムとか写真って、一体何だったんだろう?
と思うようになっています。

昔「岸辺のアルバム」ってドラマがありました。

一見平和で幸せな家族に
実はそれぞれ抱えているものがあり、
家族としては崩壊寸前。
そこに大洪水が起きて、
家が流されそうになる。

そのときにお母さんが
「アルバムを取りに行かなきゃ」って言うんですよね。

壊れちゃってる家族なのに、
自分は不倫してるのに、
流されていこうとしている
家族のアルバムに執着しちゃうお母さん。

「僕が取りに行くよ」という息子。

1977年のドラマだそうなので、
私は高校生でした。
小さなスナックを経営しながら私を育ててくれている
シングルマザーの母と二人暮らし。

郊外の一軒家に住む夫婦と子ども2人の世帯は
あこがれであり
想像の域を出ないものでした。

いつかは手に入れてやる!という
未熟な野心の対象でもありました。

が、
その憧れの世界にも
明るい表面の皮を一枚むいたら、
絶望的に大変な
ドロドロした闇がある。

それはさらに信じられない
SFの世界のお話。
ドラマとはいえ、
ものすごいショックだったのを覚えています。

で、その後自分が家庭を持つことになって、
写真やアルバムにこだわったのは、
このドラマの影響も大きかったのかもしれないなぁと思います。

何かが起きて、壊れそうになっても、
たとえ壊れても、アルバムは残る。
写真が語ってくれる。

家族の大切な節目の記録。
そして、どれだけ愛したか、
愛されたかを残すもの。

そう思って、
何十年もの間、
大切に大切に積み上げてきたのでした。

東日本大震災が起きて1ヶ月後の亘理の海岸で
泥んこのアルバムが道ばたに積み上げられているのを見ました。
「大切なものを見つけましたよ。どなたのかわかりませんが、
持ち主の方はお持ちくださいね」というように。

東日本大震災の時も、
今回の西日本の洪水でも、
全国の写真やさんが泥まみれになった写真を洗って
再生させるボランティアをなさっています。

写真は家族にとってとても大切なもの。
なくなったら取り返しが付かない。

みなさんそう思いますよね。

そう思ったから、私もアルバムをドカンドカンと捨てるのではなく、
こうしてスキャンして残して、という手間をかけています。

でも、ここまできて振り返ってみると、
大切な思い出は全部、脳のシワの間に刻まれていました。

子どもたちの表情、におい、そこから湧き上がる感情。
幸せなものも、ちょっとつらいものも、
忘れたいくらい嫌な思い出も、
全部記憶の中に鮮明に残っていて、
アルバムの写真はそれを補完するものに過ぎなかったのです。

今回アルバムの整理をしてみて、
一番の収穫はそのことがわかったこと
だったかもしれません。

私は幸せな家庭を作った。

夫婦と子ども2人、
郊外の一軒家
週末ごとに家族でスポーツを楽しみ、
たまにキャンプに行き、
仲間と盛り上がり、
私の人生は幸せだった。

それを証明するために
大量のアルバムを作ってきたみたいなところがある。
だけど
実際はそんなもの不要だったんですよね。

幸せな人生ではあったけれど、
思い出したくないくらい辛く、
嫌なこともあった。

そういうこともひっくるめて
人生の醍醐味だし、
どんなに取り繕ったって、
私の人生にも闇があったことを
自分自身がよく知っています。

捨てたくない大切なものは
思い出
そして、それは全部記憶されている。
記憶されているからこそ
大切な思い出。

ならば、
アルバムや写真とサヨナラすることに
未練はないな。

そして、
私がこの世からいなくなって、
大量の写真が残ったとしても、
誰かの脳みそのシワに刻まれていない写真は、
記憶とセットになっていない分、
とても中途半端で、
ちゅうぶらりんなものになってしまうのではないかなぁと
そんなことも思っています。

アルバムの整理シリーズはこれで一旦オシマイです。
また何か新しい展開があったら、
記事にしていこうと思います。
お付き合いありがとうございました。

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